中国東部江蘇省の無錫市は以前から民族工業が盛んな町でした。さらにいまは、新たな企業家が現れ、無錫経済に活気を注いでいます。そうした中、無錫市にある企業のもつ有名な商標の展示会がこのほど全国を巡って行われています。今日は、この展示会にちなんで、無錫での近代工業の発展についてお伝えしましょう。
無錫の有名な商標の展示会で一番珍しいものは、「船」のマークの商標です。商標のデザインは、西側に向かって帆をあげて出発しようとする船です。緑、赤、青、黒の四色を使っていて、真ん中に「無錫茂新小麦粉会社」と書いてあります。長い時間がたったことで、色がいくらかさめていますが、これは中国で登録された初めての商標で、1926年にアメリカで行われた商標博覧会で入賞したことがあるということです。
展示会でこのマークを見た年配者の、呉さんは、感心したように話しました。
「今の人たちが、製品のメーカーにこだわるのと同じように、その年代の無錫の人々はこの船マークの小麦粉しか買わなかったんです。私はこのマークの小麦粉を食べて育ったのです」
この商標はまた多くのコレクターの憧れでもあります。その一人の華さんは「無錫の企業家は1910年代から、自らの製品への信望を大事にしていました。この船マークは、当時の栄宗敬、栄徳生兄弟が設立した会社、無錫茂新小麦粉会社が使ったものです。1910年にこのマークを使い始めて、これまですでに百年近くが経ちました。そして、1923年に当時の政府が中国初の商標局を設けてから、この船マークの商標は一番目に登録を申し込みました」と述べました。
この船マークの小麦粉は、その後、上海に進出し、海外の会社にコントロールされた会社を破って、上海市場を制覇したのです。
船マークは、中国で登録された初の商標ですが、その所有者、無錫茂新小麦粉会社だけが無錫の近代工業企業ではありません。
1895年に、無錫に生まれ育った楊さん兄弟は、運河のほとりで無錫で初の紡績工場を設置しました。その歴史に詳しい湯可可さんは「19世紀末ごろ、三つの紡績工場が同時に設けられました。紡績業は当時無錫で盛んに行われました」と述べました。
紡績工場や小麦粉会社など無錫に相次いで新しい工場が設けられて、無錫は、民族工業の重要な拠点となりました。
1937年、無錫の工業総生産は全国で三位にランクされ、労働者数は上海に継いで全国二位となりました。無錫は非常に繁栄する時代を迎えました。これについて、無錫市総商会の蘇紅平会長は「当時の無錫では、小麦粉製造と紡績は重要な基幹産業でした。無錫の会社は市場での競争で次第に優勢になりました」と述べました。
無錫の実業家の中で、紡績王と言われる栄宗敬、小麦粉の王と言われる栄徳生、シルク紡績の王・セツ南ミン、炭鉱王・周舜卿、ゴム王・王セツ福などは、いずれも全国で名が知られわたった人物で、無錫の誇りとされるものです。
いまの無錫市では、新たな民営企業が相次いで設置されています。しかも、これらの企業は、国内市場だけでは満足せず、海外市場へ進出するものが少なくありません。無錫の商工業界は、昔からの伝統を受け継いで発展していると見られます。
|