この「わが神秘な故郷」を演じたのはチベット昌都地区の民族歌舞団です。この歌舞団はすでに34年の歴史を誇っており、団員はすべてチベット生まれチベット育ちの人々です。彼らが舞台で着ている衣装は自分たちが普段着ている服です。ですから、そこには彼らの生活のにおいそのものが染み付いているというわけです。
昌都歌舞団の洛桑団長によりますと、昌都歌舞団は毎年50回チベット各地で公演を行うそうです。彼らは伝統を受け継ぎながら、絶えず新しい作品を創作し、チベットの民間芸術を伝承、発展させています。この「わが神秘な故郷」はチベットのいくつかの民間舞踊を組み合わせて作られています。その中の鍋庄、熱巴、弦子の三種類の踊りは中国無形文化遺産に指定されています。この三種のチベット踊りについて洛桑団長は次のように紹介してくれました。
洛桑団長:チベットにはいろいろな踊りがありますが、チベット東部の踊りには主に三つあり、これらはいずれも中国の無形遺産に指定されています。まずは熱巴は各種の太鼓の演奏です。男性は鈴とカモシカの尻尾を持ち、女性は太鼓を持っています。太鼓には腰に巻くもの、背中に担ぐもの、手にもつものなどいろいろな種類があります。二番目の踊りは鍋庄です。これは老若男女が手をつなぎ、薪を囲みながら踊ります。テンポはゆっくりと始まって、だんだん早く、最後にクライマックスを迎えます。三番目は弦子舞です。これは男性が牛の角の二胡をもち、女性はこの二胡の音を真似るというものです。
「わが神秘な故郷」の中にはこの三種類の踊りをすべて取り入れていました。踊りをプロデュースした鄧林さんは全スタッフの中で唯一の漢民族です。彼はこれまで多くのチベット舞踊の作品を創り出してきました。彼はチベットの油絵、音楽、映画などの作品から民族のエキスを吸収し、自らの感性を磨きました。そしてこの劇のため、初めてチベットに足を運びました。チベットに着いた彼は
鄧林:これまでイメージしたものは美しすぎました。すべて私の想像の中だけのものだったのです。実際来て見て、想像したものよりもっと力のあるものを感じました。特に私は軽い高山病にかかり、頭が痛くて一晩中眠れませんでした。私のチベットへの感覚は前より鮮明になりました。つまりここに来てまず大切なのは生きることです。生存問題を解決できれば、ほかのことができる余裕ができるわけです。ありのままのチベット民族の生活の本質はそこにあります。彼らの生活は芸術です。「わが神秘な故郷」はチベット族の原始的な生活、踊りや歌などから生まれたものです。
去年から、チベットの歌舞劇「わが神秘な故郷」は「中国チベット文化週間」の一つの内容として、デンマーク、イタリア、オーストリアなどで公演されました。今年の9月、韓国でも公演を行いました。ゲベンハーゲン、ローマ、ミラノ、ソールなどの都市では十数回上演されました。いたるところで好評を博しています。多くの外国人の観客はチベット文化に接して、チベットに行きたくなったといいます。
中国の民族の歌や踊りを専門にプロデュースしている中実長江維盟文化芸術会社の劉自広社長は作曲専攻の修士号をもっており、中でも、民族音楽に特別な思いを持っています。彼が初めて「わが神秘な故郷」に出会ったとき、役者の声を聞いて、すぐに純潔、純情、純真などを実感したそうです。彼は「民族音楽は輝かしい宝物、もし発掘できれば、その光は輝くが、もし発掘できなければ、その宝は永遠に埃にまみれたままです。」と話しています。
「わが神秘な故郷」は北京で二日間公演されましたが、二日とも満員でした。観客の遅海源さんは「私はこの公演を通じて、チベット文化、各民族の文化を理解できました。この劇には人を感動させる力があります。」とこう感想を述べてくれました。 1 2
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