
北京には昔、町から町へと歩いて、声を出しながら物を売る人が大勢いました。それは、昔の北京、いや他の地方も含めて、みんな平屋に住んでおり、商売をする人は大きな声を出さなければ、それぞれの庭あるいは家にいる人に、「私がこれを売りに来たんだよ」ということを知らせるのが難しかったからです。したがって、呼び売りが、商売の大切な手段の一つとなったというわけです。
とはいっても、当時は、どんな商売でも声を出して売っていたわけではありません。一部の商売は、呼び売りを使ったら、かえって縁起の悪い言葉、あるいはお客さんに対して失礼な言葉が出るので、絶対に声を出して売ってはいけないことになっていました。
このため、それらのものを売る人は、音を出すことができるいろんな小道具を作りました。声を出す代わりに、小道具を使って音を出すことでお客さんを集めていたわけです。これらの小道具は、通称「八不語」、つまり「八つの語らないもの」と呼ばれました。実は、小道具の種類は八つしかないというわけではないのですが、昔から、統一して「八不語」と呼ばれてきたので、そのまま残ってきた名前なのです。以下では、その中のいくつかを取り上げてご紹介します。

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写真1:小鼓 |
写真2:虎トウ |
まずは、小鼓(写真1)です。
小鼓といっても、日本の小鼓とはだいぶ違って、ペットボトルの蓋と同じくらい小さく、言わば「ミニ太鼓」という感じです。この鼓を打つものとして、細い木の枝とか竹の枝が使われていました。小鼓そのものは小さいのですが、打ってみると、高くて鋭い音が出ます。昔、骨董品や、真珠・宝石などのアクセサリーを回収する人が使っていたそうです。
次は、中国語で「虎トウ(手へんに掌)」(写真2の中の最も大きいもの)というものです。「虎トウ」は日本語でいえば「トラを支える」という意味です。これは、昔、町の中を歩いて、風邪薬などを売ったり、軽い病気を見てくれたりするお医者さんが手に持っていたものです。この「虎トウ」についての伝説があります。
その医者さんは、ある日、森の中で一匹のトラと会いました。必死に逃げようとしたのですが、やっぱり無理で、トラにつかまりました。地面に押さえられて、食べられそうになったとき、医者は、この小道具を取り出して、それをトラの口の中に入れました。小道具は、ちょうどトラの口の真ん中に置かれ、口の上と下を支えていました。トラは、口をあけたまま、上の歯と下の歯を噛みあわせようとしますが、できません。それで医者さんは助かったのです。この医者さんによって、この小道具は、「トラの口を支える」という意味の「虎トウ」に名づけられたそうです。
この「虎トウ」は直径10センチくらいの円形で、身の回りでいえば、電車のつり革のようなものです。ただ、形は丸くて、握りの部分もつり革より太いです。そして、つり革と違うのは、この「虎トウ」の握りの部分の中に小さな金属製、あるいは石の塊が入っていて、動くと鈴と同じような、チリン、チリンと音を出るのです。いわば少し変わった形の鈴のようなものです。

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写真3:でんでん太鼓 |
写真4:鉄片の串 |
写真5:ラッパ |
でんでん太鼓(写真3)は、みなさんがおなじみの玩具でしょう。これは、針と糸、靴下など簡単な日用品や衣料品を売る人が使っていたものです。
この、鉄などの金属の破片をつなげたもの(写真4)は、昔、ハサミや包丁を研ぐ職人が使っていました。ハサミや包丁なども、この小道具と同じ、金属製のものなので、この小道具の音を聞けば、人々はすぐ包丁研ぎの職人が来たと分かるのです。実は、ハサミ、包丁を磨く人は、このほかに、ラッパ(写真5)も使っていたのです。

写真6:ドラ
それから、昔の北京には、道を歩く人に占いをやる人、いわゆる「占い師」といわれる人が多くいました。彼らが使っていた小道具はドラ(写真6)です。このドラを持って、鳴らしながら道を歩いていたのです。(鵬)
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