モンゴル族の芸能と言えば、皆さんは伝統楽器の馬頭琴が一番お馴染みなのかもしれません。でも、代表的なものとしては、そのほかに「語り物」があります。日本で言えば「講談」のようなもので、モンゴル語では「ウルゲル」といいます。
この「ウルゲル」は最初からあったものではなくて、その原型となる「ホリボ」から生まれ変わってできたものです。
「ホリボ」というのは12世紀ごろ、中国では元の時代、つまりジンギスカンが皇帝だった時代に生まれたものです。そのころは、モンゴル族にはまだ文字がなかったので、戦争のときの軍事命令などは、全て口頭で伝えていました。そのときに使われたやり方が、この「ホリボ」というものです。
兵士らの命にかかわる情報などを、限られた時間以内に正確に伝えなければならなかったため、「ホリボ」ができた当初は、短いものが多かったようです。のちに、もっと工夫し、洗練されたものや、フレーズの語尾の韻律をきちんと合わせたものも現れました。
こうして、「ホリボ」が定型詩のようなものとなり、それに伴奏も合わせて歌うようになったとき、さきほどご紹介した「ウルゲル」が、「ホリボ」から生まれたというわけです。
軍事上の命令から生まれたものであるため、「ウルゲル」の内容は元々、軍記物語や歴史的な出来事などが多かったようです。その後、近代に入ると、天文・地理、自然科学、さらには庶民の暮らしなどさまざまなことを歌い語るようになりました。
そして昔は、1人で演じることが多かったのですが、だんだん内容が豊富になると2人の会話形式でやるもの、一部では3人以上で演じるのもありました。彼らが語る物語は長編のものが多く、短いのでも何時間、長いのは2週間かかっても終わらないそうです。
テレビなど娯楽が極めて少なかった時代には、地元の住民にとって、この「ウルゲル」を聞くのが一番の楽しみでした。中国内蒙古自治区の住民・デリゲルさんは、当時の様子について次のように話しています。
「私が小さいころは、まだテレビとか映画はなく、娯楽手段といえば、馬頭琴を弾いて歌を歌ったり、踊ったり、あとはウルゲルを見たりすることしかありませんでした。しかも、ウルゲルは、お祭りやお祝いのときじゃないとなかなか見られないのです。私たちはほとんど牧畜民ですから、お互いにかなり離れて住んでいます。でも、友達の誰かがウルゲルの芸人を家に招いたと聞きつければ、何十キロ離れていても、皆、牛車に乗って見に行くのです」
しかし残念ながら、90年代ごろから、他の娯楽の普及によって、人々はウルゲルを聞かないようになりました。ウルゲルを演じる劇場が、ビリヤード場、ゲームセンター、ディスコに変わっていきました。しかたなく、ウルゲルの芸人も、ほかの仕事をするようになりました。そして2004年ごろ、内蒙古自治区には、ウルゲルの芸人は、数えるほどしかいなくなってしまいました。
幸い、中国政府はこうした深刻な状況を改善しようと「ウルゲル」の保護に取り組んでいます。2004年から、ウルゲルの研究・収集プロジェクトを実施し、また2006年に、それを国家クラスの無形文化遺産に登録しました。
もちろん、今は、昔のように、ウルゲルを聞くために何十キロ離れていても駆けつけるということはないかもしれませんが、でも、我々中国の誇る伝統芸能の一つとして、大切にしていきたいと思います。(鵬)
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