今日の中国民族音楽は中国で有名な女性民謡歌手・曲比阿烏をご紹介しましょう。
中国西南部にある「月光城」は月の光の下で本が読める月光の町と呼ばれ、この町で生まれた曲比阿烏は、その美しさから「月光の娘」と呼ばれていました。彼女は、早くも五、六歳ごろからその非凡な才能を見せ始め、夕方、父親が弾く月琴の音にあわせて、毎日、楽しそうに唄ったり踊ったりしていました。その歌声は、イー族が多く集まる大涼山にいる「阿烏」という鳥のさえずりのように綺麗に響くので、父は彼女に「阿烏」という名前を付けたのです。6歳の時、彼女は、町の劇団の公演を見に行こうと、一人でこっそりと車に乗って町に出ました。
「当時は、とても小さかったから、町のどこに劇場があるかなんて分からなかったけど、たくさんの人が歩いて行く方へ行ってみたの。劇場に入って、美しい民族衣装を着た女性が踊る様子は、まるで仙女が空に浮いているようだった」
その時から、彼女の中で歌手になる夢がどんどん膨らんでいきました。1980年、彼女は、天津音楽学院に入学し、夢の実現へ大きな一歩を踏み出すのです。
では、まずお送りするのは、曲比阿烏が歌う「有一個美麗的地方(美しい場所)」です。
「有一個美麗的地方」
1982年に天津音楽学院を卒業した曲比阿烏は、そのまま、中央民族歌舞団に入り、北京の舞台で活躍を始めます。彼女が舞台に立つようになると、その美しい容貌と優しく心に響く歌声は、瞬く間に人気を呼び、新聞、雑誌に、テレビやラジオ…… ありとあらゆるマスコミが、こぞって彼女を褒め称えました。
北京での人気が伝わり聞こえてきた地元のイー族の人々は、彼女の成功を家族の事のように喜びました。
その頃、彼女はイー族の兵隊さんから一通の手紙を貰ったそうです。
「その手紙には、『私は、国境を守るため何年間も家に帰れない。春節の時、テレビであなたの姿を見ると、故郷の家族を思い出し、元気が出るのです。』と書いてありました」
では、続いてお送りするのは、再び曲比阿烏が歌う「情深誼長(深い友情)」です。
「情深誼長」
インタビューの最後に、彼女は、自分の生き方について次のように話しました。
「私の祖先は、先祖代々イー族の大涼山に生活してきた、いわば本物のイーの一族です。私はイー族の歌手として、イー族500万人の同胞を代表して、北京で舞台に立っているのです。」
それでは、今日、最後は、曲比阿烏の歌で「遠方的客人請你留下来(遠方からのお客さん)」でお別れしましょう。
「遠方的客人請イ尓留下来」
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