今度は「耳食録」という本から「人の影」です。
「人の影」
むかし、鄧乙という一人住まいの男がいた。鄧乙は人付き合いが悪く、夕餉のあとなどは、書物もろくに読まず、一人ですわり、部屋のか明かりのよこでボッとしているだけであった。これが続き、鄧乙はため息をついていた。
と、ある日の夜、鄧乙はあまりにも寂しいので壁に映った自分の影に話しかけた。
「おい!影よ。お前と俺は長い間の付き合いだが、お前、黙っているだけで、フンとかスンとか言えよ。俺は一人ぼっちで話し相手もいないよ。ったく!つまらない」
と、鄧乙が愚痴をこぼしていると、不意に、「分かりました」という返事が来た。これに鄧乙はびっくり。家には自分しかいないはず。いったい誰が答えたのかときょろきょろしていると「わたしですよ。あんたの影ですよ」という声がした。
鄧乙はいくらか恐ろしくなり、黙ってしまったところ、「何も怖れることはありませんよ。あんたの影があんたを取ったり食ったりはしないから」という。
そこで鄧乙が本当か?とたずねると、「自分の主人をだましたりはしませんよ。さあ、私に何をしろというのですか?求めにお答えしますよ」といって、影が独りで壁から下りてきた。
長い間一人ぼっちだった鄧乙は、これに喜び、さっそく注文を出した。
「そうか。よし。じゃあ。若い物知りな若者を私の話し相手として出してくれ」
すると影は「それはたやすいこと」というと、フッと煙が出て影は身なりのいい若者に代わり、鄧乙と話し始めた。この若者は多くのことを知っており、面白い話までするので鄧乙は大喜び。
しばらくして、鄧乙は今度は若い娘がいいというので、若者はきれいな娘に変り、踊ったり琴を弾いたりして、鄧乙を楽しませてくれた。こうして、鄧乙の影はそれから毎晩のように鄧乙の願いを聞いてくれ、鄧乙は生まれてはじめての楽しい日々を送った。
|