ブラン族
ブラン族は中国雲南省シーサンーパンナーや臨滄、思茅地区などに住んでいます。総人口は8万人あまり、民族独自の言語を持っていますが、文字はありません。ブラン族が住む地域は、プーアル茶栽培の重要な産地であることから、プーアル茶の故郷とも呼ばれています。
ブラン族が住む地区の原始林には高さ34メートル、樹齢1700メートルのお茶の木があります。この木はお茶の木の王様と呼ばれ、 中国が世界のお茶のふるさとであることの生き証人です。お茶の栽培が上手なブラン族はここにすんでいます。
ブラン族の人はお茶作りが得意で、お茶栽培における豊かな経験を積んできました。ブラン族の女性はみんなお茶つくりのベテランです。彼らは毎年4月と5月、新茶を摘んでから、中華なべの中でいためます。水分を完全にきってから、暑いうちに蓋つきの竹の筒に入れて、竃の中で焼きます。竹の筒の表面が焦げたら、竹の筒のお茶が出来上がりです。このお茶の風味は大変芳しくて、お客さんをもてなすときの最高のお茶だそうです。
ブラン族
ブラン族は発酵したものが好きです。たとえば、魚や野菜、たけのこなどを漬けたものを好みます。彼らはまたすっぱいお茶も作ります。新鮮な茶葉を煮てから、日陰のないところにおき、すっぱくなってから、竹の筒の中に入れて、栓で口を塞ぎます。たけのこの葉っぱで容器を包み、土の中に埋めます。三、四ヵ月経ったら、すっぱいお茶の出来上がりです。
このほか、ブラン族は歌や踊りがすきで、毎年お祭りになると、歌声を競い合い、夜通しで歌ったり、踊ったりします。ブラン族の若者はまた、さまざまな楽器を弾きながら、いろいろな歌を歌います。その中の「カール踊り」は若者がもっとも好む集団踊りです。まずは踊りの上手な人がドラと太鼓のリズムに合わせ、踊りをリードします。そして若い女性たちがひとつの輪を作り、逆時計回りでステップを踏みます。若い男性たちは輪の中に入り、飛び跳ねたり、女性と一緒に歌ったり、動物のまねで踊ったりします。このブラン族は、踊りの上手な男性が、女性にもてるんだそうです。
つづいては、中国東北部に住んでいる少数民族、朝鮮族をご紹介しましょう。朝鮮族は元々、朝鮮半島に住んでいましたが、17世紀の末から、中国の東北部に移住を始めました。特に、1869年に朝鮮北部が災害に見舞われ、多くの朝鮮族が東北の延辺あたりに移り住んだのです。また1910年、日本が朝鮮半島を支配したとき、さらに多くの朝鮮族が中国東北部に移住していきました。
朝鮮族
現在、中国国内には192万人の朝鮮族がいます。主に中国東北部の延辺朝鮮族自治州、長白朝鮮族自治県に住んでいるんですが、ほかにも吉林省、黒龍江省、遼寧省と内蒙古にも広がっています。朝鮮族は主に農業を従事し、寒冷地、寒いところで稲作(いなさく)をするのが得意です。東北部の米は粘りがあり、栄養豊かなことから、延辺朝鮮族自治州は「北方稲作のふるさと」と呼ばれています。また長白山の森林で取れる朝鮮人参、ミンク、鹿の角は、東北の三つの宝と称されています。
朝鮮族の伝統的な食品は非常に多く、もち、冷麺、キムチなども有名です。冷麺はそば粉にでんぷん、水を入れてめんを作り、煮たあと、ごま油、唐辛子、キムチ、牛肉、牛肉のスープを入れたものです。面もスープも冷たいので、夏には最適な食べ物です。
朝鮮族は年配者を尊ぶ習慣があります。食事するとき、年配者が先に食べないと、若い人は料理に箸をつけることができません。また年配者には必ず敬語を使わなければなりません。また若い人は年配者の前でお酒を飲んではいけません。タバコをすってはいけません。年配者と一緒に歩くとき、後ろにいなけれればいけません。もし急用で前を行くとき、年配者に理由を説明して、許可を得てからでないといけません。
朝鮮族
このほか、親が60歳のとき、子供たちは親のために60歳の誕生日のお祝いを催します。この日、子供たちや親戚が一堂に集まり誕生日を祝います。誕生日を迎える両親は新しい服を着て、真ん中に座ります。同じく着飾った出席者は年齢順に並んで、順番にお酒をささげます。年配者にお酒をささげます。
朝鮮族の人は歌や踊りが上手です。踊りは扇の踊り、太鼓の踊り、刀の踊りなど種類が多く、歌もメロディーが軽やかで、明るいです。その中の「アリラン」が歌い継がれています。
「アリラン」は朝鮮族の民間の物語を元に作られた曲です。遠い昔、朝鮮族の村に心の優しい誠芙という美しい娘さんと勇敢な男リランがいました。二人はある地主の家で働いていましたが、地主にいじめられ、ともに苦しむ二人はいつしか愛しあうようになりました。そして、こっそり結婚式を挙げたのです。ある年、大洪水に見舞われ、労働者たちが耕した畑はだめになり、飢え死にしたりする人が多く出ました。そして、地主に対して、農民蜂起が起こりました。この情報を知った朝廷の役人は地主と結託して、蜂起軍を鎮圧しようとしました。リランと誠芙はやっとの思いで、山奥の岩の下に逃げ込みました。しかし、リランは新たな蜂起のため、妻の誠芙に別れを告げ、出発しました。二人は誓い合いました。いくら離れても心が一緒にある。ある日、地主の息子が山に狩猟に来たとき、新婦の誠芙を見かけ、彼女の美しさに惹かれました。彼は誠芙を自分のものにしようと、リランがもう死んだとうそをつき、誠芙と一緒に生活しようといいました。そうでないと、彼女を山から追い出すと驚かしたのです。誠芙は彼に反抗できず、やむをえず、地主の息子と生活を始めました。でもこれは本心ではなく、心の中では、リランを待ち続けていたのです。ある日、リランが地主を倒し、ついに家に帰ってきました。妻の誠芙と喜びの再会を果たしたのもつかの間、突然、家の中から物音が聞こえました。地主の息子です。リランは彼を見つけて、妻が自分を裏切ったのだと疑いました。怒りに駆られ、リランは地主の息子を殺し、妻の説明を聞かず、家を出て行きました。妻は「アリラン、行かないで、私の話を聞いて」と歌い始めました。歌が突然止まったので、リランは冷静になり、急いで家に戻りましたが、そこには、すでに自殺して、血まみれになった妻が横たわっていたのです。
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