56の民族が住む中国では、各民族の音楽も互いに交じり合い、そこから生まれる音楽は、独特な魅力を持っています。今年73歳になる有名な民謡歌手の胡松華は、50年来、中国の各少数民族の住む地区に深く入り込み、各民族に伝わる音楽を吸収してきました。彼は、そこから多くの民謡を世に送り出し、いつか、人々から「馬上の歌手」と呼ばれるようになりました。
いまや、中国では誰もが知る有名な民謡歌手になった胡松華。彼が少数民族の民謡を元に創作して唄った歌、「賛歌」や「森吉徳馬」などの歌は、70年代以後に生まれた人にはとても懐かしい感じさせます。
「賛歌」
胡松華は1932年に北京で生まれ、父親の影響を受けて、小さい頃から書画や音楽に深い趣味を持ち、特に、音楽の面で素晴らしい才能を見せ始めました。1950年、18歳の胡松華は中央西南民族訪問団のメンバーとして中国西南部の少数民族地区を訪れ、地元の多彩な音楽に魅了されました。
「1950年に私は訪問団のメンバーとして雲南省を訪れ、その一年半の間に、26の少数民族の民謡を耳にする機会に恵まれました。特に、チベット族の騎兵隊長が私に教えてくれた、多くのチベット民謡の、素朴で美しい旋律には、心が打たれ、胸にしみました。」
雲南省から帰ってきた後、少数民族の音楽に深い趣味を持った胡松華は、チベット族の民謡を元に「高唱酒歌(お酒の歌を唄おう)」という歌を創作しました。
「高唱酒歌」
1952年、胡松華は中央民族歌舞団に入り、本格的に音楽を学び始めました。彼はここで、現代的な発声法と歌唱テクニックを習得する傍ら、少数民族との交流を欠かさず、チベット族、ウィグル族、朝鮮族などの少数民族の歌手に、各民族の伝統的な歌唱法を学びました。この、新しいモノに伝統的なモノを取り入れようという試みは、数年間の努力を経て、彼の独特な歌唱法を生み出したのです。
「私は『海外の文化を肥料に、中国の花を咲かせる』という考え方で音楽と接してきました。西洋の発声法と中国の伝統的な歌唱テクニックを融合し、民謡の新しい概念を作り上げました。」
「森吉徳馬」
胡松華は、50年以上にわたる音楽活動の中で、中国各地、48の少数民族地区を訪れ、各民族の人々と深い友情を結びました。彼は、才能豊かな少数民族の人々を世に送り出す手助けをするために、2000年に「胡松華芸術研究室」を創設し、少数民族の若者達に無償で音楽を学べる場を提供しています。「私のこれらの活動が、少数民族の音楽のレベルアップに繋がり、また、より多くの人々に彼らの音楽を聞いてもらうきっかけになってくれると嬉しく思います」と語っています。
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