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趙樹理ー作家
   2008-09-23 14:52:33    cri

  

 趙樹理は中国の農村生活を反映し、民歌化、大衆化を特徴とする代表的な作家です。1906年、山西省沁水県尉遅村に農家の子として生まれました。6人家族で家は比較的貧しいほうでしたが、祖父、父親共に読み書きができ、医学、占いを勉強しました。父親は農業以外にも、柳の枝で編んだ家具を作り家計の足しにしていました。幼いころの超樹理は、祖父から読み書きを学んだのです。1916年、11歳になった趙樹理は私塾に通い始め、約3年間「四書」を学び。続いてすぐに、家から30里も離れた高級小学で勉強し、1923年に卒業しました。幼いころから地方劇や民間文芸を好み、8歳のころ劇の拍子木の打ち方を学び、15歳で劇楽団で指揮をとるようになりました。 

 1941年以後、日本軍が山西省への攻撃が始まりました。中国共産党は反撃を準備すると同時に、日本軍の占領地域向けの小型新聞「中国人」を発行しました。趙樹理はその付録を編集することになりました。外からの寄稿がなかったため、彼はさまざまな形式の文章を手がけなければならず、さらには、新聞全体の編集までも委ねられました。

    

 1943年5月、明るい新しい秩序を打ち立てようとする社会の要請にこたえて、趙樹理は、「小二黒の結婚」を書きました。農村の青年の自由結婚を主題とした短編小説です。この作品は、大きな反響を呼び、共産党が軍拠点としていた太行区だけでもたちまち三、四万部発行され、発行部数において当時新華書店が出版した文学書の最高記録だったと言われています。

 同年10月、中編小説「李有才板話」を手がけました。ここでは「減租減息」が主題として取り上げられており、また、中国の伝統小説ないし語り物の手法がとりいれられています。この民話形式、あるいは民話的発想法とも言うべき手法は、もともと趙樹理のすべての作品に共通する著しい特色で、彼の作品が中国の大衆に歓迎される大きな理由の一つがそこにあります。

 「李家荘の変遷」は1945年秋から書き始めた小説です。1920年代末から抗日戦争終結直後にいたる20年近くの歴史を背景にして、山村の農民たちが無知から覚醒へ、覚醒から闘争へ成長してゆく過程が、躍動的に描かれています。「李家荘の変遷」が書かれてまもなく、抗日戦争の終結によって、上海が再び出版の中心地になりました。そして、戦時中の主な作品がここで続々と出版されました。これがきっかけとなって、これまで華北部の一部でしか知られていなかった趙樹理の名前が全国的な注目を浴びることとなりました。

   

 1949年初め、北京が解放された時、華北解放区の作家たちが大勢北京へ移りましたが、趙樹理もその一人でした。1949年7月、全国の作家・芸術家を召集して北京で開かれた「中華全国文学芸術工作者代表大会」には、北京・天津地区代表の一人として出席しました。この大会によって作家・芸術の全国的組織である「中華全国文学芸術界連合会」が生まれ、次いで同年9月以降、「全国分連」の機関紙「文芸報」をはじめとして、文学雑誌や芸術諸部門の雑誌が続々と発刊されました。趙樹理は「全国分連」の常任委員に選ばれ、また大衆文学・芸術の専門誌「説説唱唱」の編集となり、更に「人民文学」の編集にも参加しました。

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