楊沫(1914ー1995)は中国近代の女流作家です。
楊沫は1914年9月北京に生まれましたが、本籍が湖南省湘蔭県です。本名は楊成業、楊沫はペンネームです。官僚の家に育ち、13歳の時、北京西山温泉女子中学校に入学しましたが、3年後、家の都合で学校を中退しました。そして、河北省の香河県、定県などの小学校で、教鞭を執り、また北京で家庭教師や書店の店員などをしたことがあります。この時期、楊沫は中国共産党の党員や革命に参加したインテリと知り合い、マルクス・レーニンの著作を読むようになりました。1936年、中国共産党に加入し、1942年以降、新聞・「黎明報」、「晋察冀日報」、「人民日報」などの編集者や副編集長を歴任。
新中国成立後、北京市婦女連合会の宣伝部に勤めました。1952年、中央映画局脚本創作所で仕事を始め、その後、北京映画制作所の脚本家となりました。1963年から北京市作家協会専属の作家であるほか、北京市作家協会の副主席、中国作家協会の理事を兼任。1978年全国人民代表大会常務委員会の委員に当選しました。
1934年に、処女作である「熱南山地居民生活素描」という散文を発表しました。抗日軍事基地で、短編小説や散文などを書きました。1950年、中篇小説「ウィ塘記事」、1958年1月に、代表作「青春の歌」を発表しました。1959年、楊沫はこの代表作を映画脚本に書き直し、映画化されました。この映画が上映された後、新中国成立10年間に最も素晴らしい国産映画の一つだと高く評価されました。そして、1978年に、短篇小説「美しいヒ メユリ」、1980年に、長編小説「東方欲暁」(第一部)、「日記でない日記」、1981年に、「楊沫散文選」などを発表しました。
1995年12月、北京で81歳で病死しました。
|