王安憶は1954年南京に生まれ、現代女流作家です。
1969年中学校を卒業したあと、人民公社の生産隊に入隊し、安徽省五河県に赴き定住します。1972年11月、江蘇省徐州地区文工団の試験を受け入団。1978年、上海に出向し、雑誌「子供時代」の小説の編集を担当しました。1980年、少年児童出版社の推薦により、中国作家協会主催の第五回文学講習所に参加し、職場に復帰しました。1983年にはアメリカのアイオア大学の「国際創作計画」に参加しました。作品は主に、「長恨歌」、「雨のささやき」、「老康(らおかん)」、「王安憶中短編小説」、「妙妙(ミャオミャオ)」、「終着駅・上海」などです。そのうち、ある女性の40年の恋愛を描いた長編小説「長恨歌」は茅盾文学賞を受賞したもので、また、映画化されました。
彼女は自分の文学創作について、次のように述べています。
「私は小さい頃から作家になり、創作活動をしたいと考えていたわけではありません。私達はずっと良く勉強し、進学して、医者かもしくは科学者になるように父母から言われてきました。自然科学に携わる仕事はとても崇高な職業であると思っていただけでした。この考えはこの30年間ずっと私に影響を与えてきたのです。そこで私は奮い立って勉強に励み、全ての科目に大変興味を持ち、また素晴らしい成績を修め、自分でも進学は問題ないと思っていました。学校では理想教育運動が展開され、私は自分の理想を口にすることを求められました。私は少しも躊躇することなく『農民になる』と言っていました。その時、大学のツバメとなり、農村は苦難と希望に満ち溢れており、珍しい色彩を帯び、私のロマンチックな心に呼応したのでした。多分私が農村へ行くなどとは、実際に考えたことがなかったからなのでしょう。私にとって農村とは一つの実現することのない夢のようなものだったので、このように少しも躊躇することなく口にすることができたのだと思います。
私のたくさんの夢が全て破れ去ってしまったとき、何と、この空漠として、見通しの立たない農民になるという夢が突然かなったのです。『文化大革命』が始まり、わけの分からないままに小学校、中学校を卒業し、人民公社の生産隊に入隊し、安徽省淮北に戸籍を移し、農民になったのです。
農村での苦しく寂しい日々において、本と日記は、ますます私にとって近い物となり、私の生活の一部分となっていきました。農村から遠く離れていた頃には、あんなに素晴らしかったのに、その中に入るとすぐ、私は一人の農民となることに満足できないことがわかりました。まず第一に私は、自分を養っていくことが出来ないのです。私は抜け道を考えましたが、手持ちの武器は、この未熟な文章しかありませんでした。私は小説を書きました。どこにも発表できないとよく分かっていましたが、それでも書きました。これは私の作家になるという考えの最初の芽生えでした」
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