巴金(1904ー2005)は中国近代の小説家、散文家、文学翻訳家です。
四川省成都のある地主の家に生まれました。「五・四」運動の時期に、「新青年」、「毎週評論」など、新思想を宣伝する雑誌を読み、反帝国主義、反封建的な民主主義思想を持つようになりました。同時に無政府主義者の著作を読み、その影響を受けました。成都外国語専門学校で学んでいる時に、友人とともに青年団体「均社」を組織し、「半月」、「平民之声」など、「民主主義宣伝・封建礼教批判」を中心とする刊行物を出版しました。
1923ー1925年の3年間、上海南洋中学と南京東南大学附中に在学しました。1927年、初めてパリに渡り、多くの啓蒙思想家やフランス資産階級革命の歴史についての著作を広く読み、「夜未央」や、「理論学の期限と発展」(上巻)などを翻訳しました。翌年、書いた第一部長編小説、「滅亡」において、彼は小資産階級知識分子の自発的反封建闘争を褒め称えるだけでなく、一切の強権に反対し、個人の絶対的自由を追求する思想を描き出しました。1928年末に帰国し、長年にわたって、上海で著作・翻訳活動に従事しました。
1931年初め、長編小説「激流」、すなわち「家」を発表し、少年時代の生活体験にもとづいた、封建家庭の中での騙しあいや、新旧両世代の衝突を描き、封建社会の礼儀や道徳が青少年に与える弊害を浮き彫りにしました。そして五四時代の青年知識分子の初歩的覚醒と抗争を賛美し、読者に広く深い影響を与えました。同年、中編小説「霧」も出版。その後、相次いで、中編小説「海の夢」、「春の中の秋」、「芽生え」、「雨」、「電」、及び長編小説「甦る」などを発表しました。
1934年、巴金は日本に渡りました。翌年、上海に戻り、散文集「海行雑記」を出版し、文化生活出版社の編集主幹として文化生活衆刊、文季月刊等を出版しました。抗日戦争初期、作家茅盾と共に、「烽火」などを作って、「抗日救国」を宣伝し、童話集「長生塔」、長編小説「春」、散文集「告訴」、「夢と酔」などを出版しました。1940年から、昆明、成都、重慶を転々とし、長編小説「火」「秋」、中編小説「憩園」を出版しました。抗日戦争勝利後、上海に戻り、相次いで、中編小説「第四病院」、「寒夜」を出版し、国民党統治下の暗い現実や侮辱を描きました。この頃から、巴金の作品は、芸術上の円熟期に向かいます。
新中国建国後、全国文連副主席、作家協会主席などを歴任し、「文芸月報」、「収穫」、「上海月報」などを編集しました。同時に文学の創作と翻訳に取り組みました。そして、中国人民と世界各国の人民の友好、侵略戦争反対、世界平和を訴える作品を多く書きました。文化大革命後は、散文集「随想録」、「創作回憶録」などを続々と出版。その中の「随想録」第五集において、憎むべき社会現象を深く分析し、厳密な自己分析をおこないました。これは、作者自身の誠実さが現れるとともに、祖国人民の運命に対する深い思いが表現されています。
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