劉心武は1942年、中国の四川省の成都に生まれ、1950年、父親の転勤で北京に移りました。中学の時には文学に興味を示しました。1961年、北京師範専門学校を卒業して以来、15年間。
中学校で教鞭をとりました。1976年、北京出版社の編集者となり、また、文学雑誌「十月」の創刊に参与しました。1979年から、中国作家協会の理事、「人民文学」の編集長などの職を歴任しました。1987年アメリカへ赴き、13の大学で講義したことがあります。
1977年には短編小説「担任教師」を発表しました。この小説について、劉心武は次のように述べています。
「北京の中学校で教えていた15年のうち、10年が文化大革命の時でした。その間、中国の教育は大きな打撃を受けたのです。学校には正常な教育秩序もなく、教育者としての役割を十分に果たすことができなかったとき、そのように混乱した教育現場から離れ、別のことをしようと思いました。『担任教師』はその文革時代の教育現場の混乱を描いた作品です。もし、文化大革命がなかったら、私は教師を続けていたでしょう」。この小説が発表された後、社会で非常に大きな反響を引き起こし、新しい時期の文学代表作だと評価され、また、全国優秀短編小説賞を受賞しました。これにより、劉心武の文壇での地位も確立されました。
初の長篇小説「北京下町物語(鐘鼓楼)」は彼の代表作で、「人民文学賞」と「茅楯賞」を受賞しました。この作品は昔のたたずまいを残す北京鐘鼓楼近くの四合院に住む10家族の12時間のことが描かれています。主人公は四合院に暮らす庶民ですが、ときに舞台は鐘鼓楼の下でひなたぼっこをする老人たちへと移ったりもします。各種各階層、老若男女それぞれの立場から、北京の庶民生活を描いた物語です。作者が「みかん式」と名づけているように、みかんをむいてみると、中の実は袋ごとに独立したものとなっていますが、しかし、それをあわせると一つのみかんとなります。難しい描写方式ですが、作者はこれで「北京下町物語(鐘鼓楼)」をつくり、成功しました。
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