この洋河大曲、庶民に喜ばれただけでなく、当時の役人、大金持ち、ひいては皇帝の側にいる高官からも好評を博していたそうです。
時は1644年、つまり明朝の末期,武英殿の大学士で、兵部尚書、えーっと。陸軍大臣みたいなポストですが、この兵部尚書であった史可法が、兵を率いて北の清の勢力と戦い、その軍隊をここ洋河に駐屯させ,ながーい陣を張っていましたが、当時は気温が低く、それも野外だったせいか、多くの将兵が体の不調を訴えました。そこで史可法はどうしたものかと部下に聞くと、地元の洋河の酒はおいしい上に寒気を吹っ飛ばすと言うので、早速多くの洋河の酒を持たせて薬を混ぜ将兵に飲ませたところ、不調を訴えていた者たちは、すぐに元気になり、そうでなかった者たちも急にファイトが沸いてきたと言います。
あれ?酒は百薬の長といいますから、薬を混ぜなくとも風邪には効くでしょう?それに薬が入っていたからには尚更のことですよね。酒がよかったのか、または薬が酒によってより大きな効き目を出したのか?どうなってんの?これは!仕方ありませんよ。この林涛が悪いわけではないのでほっときましょう。コマーシャルじゃあありませんからね!。
と、それはいいとして洋河大曲地元の高梁を原料とし、大麦、小麦とえんどう豆を使って糖化発酵剤をし、地元のおいしい泉の水を使って醸造します。酒は無色、もちろん透明です、口当たりはいいですよ。それに香りがいつまでも残るみたいですね。実はこの酒を林涛がはじめて飲んだのは20年近く前のこと。家内の実家に何本もありましてね。親父さんはお酒は飲まないに、どうして酒をもらったのか知りませんが、それら酒は私が全部飲んだような気がします。だって家内の実家には飲める人はいませんでしたからね。ヒヒヒ!儲かった!それにお酒がおいしかったからついつい飲んじゃったのでしょう。でも,アルコール度はかなりあったから、何回かに分けて飲み終わったのです。一度には飲めませんヨ。そんなことしたら死んじゃうから。また、当時はうちは家内の実家から近かったから、何回か通って飲み終わったのかな?
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