張恨水(1895ー1967)は中国の近代小説家です。安徽省潜山の出身ですが、江西省の広信で生まれました。
幼い頃から文学作品を愛読し、少年時代には塾に通っていました。16歳の時、安徽省の潜山に戻り、その後、蘇州の「蒙蔵墾殖学校」に入学しましたが、学校が解散したため、自宅で勉強を続けました。
1918年、安徽省芫湖の「皖江日報」の編集者になり、1919年に、処女作「南国相思譜」を発表しました。同年、北京に赴き、「益報」の校正を担当したほか、上海の新聞「申報」北京支社や北京世界通信社で編集の仕事をしました。
1924年「世界晩報」夕刊・「夜光」の編集長となり、以来、数多くの恋愛小説を発表しました。代表作は「春明外史」、「金粉世家」、「啼笑姻縁」などです。1924年から1939年までの5年間、彼は絶頂期を迎え、「鴛鴦蝴蝶派」の代表的作家の一人となりました。
「鴛鴦蝴蝶派」とは中華民国初期から五四運動時期にかけて活躍した通俗文学のグループです。才子佳人の恋愛物語が多く、文豪・魯迅が「佳人が才子に恋をして、別れがたく、柳や花の下にいる一対の蝴蝶か鴛鴦のようだ」と評したことから「鴛鴦蝴蝶派」と称せられるようになりました。また小市民的趣味に迎合しているなどの評価もありました。1914年から1923年にかけて発行された週刊紙『土曜日』は影響力が大きく、それによって「土曜日派」とも呼ばれました。
1935年、上海に移住し、「立報」の夕刊「花果山」の編集長となりました。抗日戦争勃発後、重慶に移り、その頃「新民報」に多くの文章を寄せるほか、多くの小説や散文を発表しました。1946年、新聞「新民報」北京支社の総経理兼夕刊・「北海」の編集長となりました。1948年「新民報」の仕事をやめ、新中国成立後は中国作家協会の理事となりました。
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