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傅斯年ー中国近代史上の歴史・言語学者及び考古学者
   2006-08-23 09:43:14    cri

 傅斯年(1896ー1950)は山東省聊城の生まれ。中国近代史上の歴史・言語学者及び考古学者です。

 1909年、天津府立中学校に入り、1916年、北京大学に入学。北京大学で民主と科学の新しい思潮の影響を受けて、1918年、羅家倫とともに、「新潮社」を創設しその後、月刊「新潮」を創刊しました。新文化を提唱する彼は、北京大学学生会のリーダーとなりました。「五・四運動」が勃発した時、そのデモ行進を指揮する責任者でした。1919年、大学卒業後、ロンドン大学研究院やベルリン大学哲学研究院に留学し、心理学、生理学、数学、物理学などを専攻しました。1926年に帰国し、翌年、広州中山大学の教授となりました。1928年からずっと中央研究院歴史言語研究所の所長を勤め、研究所の出版物「歴史言語研究所集刊」を創刊、その編集長を兼任しました。1929年の春、歴史言語研究所は南の広州から北京に移り、傅斯年はまた、北京大学の教授を兼任しました。1932年、胡適が社長であった独立評論社に参加し、「独立評論」で蒋介石政権を擁護し、共産党に反対する政治文章を発表しました。抗日戦争勃発後、国民参政会の参政員を担当すると共に、西南連合大学の教授を兼任しました。その時期、彼は抗日戦争を支持し、国民党官僚の腐敗を強く非難していました。抗日戦争勝利後の1948年、南京国民政府の立法委員に選ばれました。1949年1月、歴史言語研究所が台北に移ったのに伴い、傅斯年もそこへ移住、台湾大学の学長を兼任しました。

 傅斯年は政治面で蒋介石政権を擁護、中国共産党に反対し、また、学術面では、純客観的な科学研究を主張しています。

 1950年12月台北で、54歳で亡くなりました。

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