今日のこの時間は、中国の食べ物のお話です。
中国では薄い塩味の白いスープのことを一部の地方では、日本語で「白湯」とかいて「バイタン」(baitang)といいますが、このスープで出来た麺を「白湯麺」といいます。この時間は観光地で知られる江蘇省の蘇州の名物にまつわるお話です。
題して「蘇州の白湯麺」
夏になり、気温が上がるに伴い、人々は味が薄いさっぱりしたものをほしがるのはいつでも、どこでも同じ。蘇州では暑くなるといくつかの料理屋は、「白湯麺を始めました」という看板が出る。ある年寄りがこんな話をしてくれた。
時は清の時代。安徽の鳳陽は日照りに見舞われたので、多くの人が難を逃れるためふるさとを離れたが、その中に中年の張さん夫婦が子供を連れ蘇州に逃れ、楓橋の近くで藁葺き屋根の小屋を立て、麺を作って売り、なんとか家計を立てていた。売っているのは「陽春麺」という具なしの安い麺で店はかなり小さがったが、麺には腰があるし、うまいというので働き者の夫婦が営むこの店は客から喜ばれた。そして2年が過ぎて暮らしもよくなり、いくらかたくわえができたので、夫婦はレンガ造りの家を建て、店を少し大きくして、これまでの「陽春麺」のほかに、醤油味がする豚の角煮汁の麺である「紅焼肉麺 hong shao rou mian」を売り出し、これが人気を呼んだ。しかし、当時は、油、塩、醤油、お酢、米、小麦粉と肉などはすべて街中で買わなければならなかった。
ある日、仕入れのため、張さんは天秤棒を担ぎ街中にきて小麦と肉を買ったあと、醤油はあとと思って、その足でこの日は縁日だという街角にあるお寺の近くにきた。そこには多くの出店が並んでいた。実は出かける前に妻から靴と子供の食べるお菓子を買うよう言われていたのだ。そして買い物しようと歩き始めた途端、道端から大きな泣き声が聞こえた。ふと見ると、ぼろぼろの服をまとった男が、近くにある鳥居に頭をぶつけて死のうとしている。気のやさしい張さん、早速それを止め訳を聞いた。その男の話によると、妻が前の日に子供を生んだので、友人から金を借りて、米を買って妻におかゆを食べさせようとここに来たが、近くで賭博をしているのを見た。
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