馮友蘭(1895ー1990)は中国中部、河南省唐河に生まれた中国哲学を集大成した人物です。父親は清の時代の進士で、裕福かつ教育を非常に重視する家庭で成長してきました。1915年北京大学哲学学部に入学し、系統的な哲学教育を受けました。1918年北京大学卒業後、1919年アメリカのコロンビア大学に留学、ベルクソンら大家について哲学の研究をしました。その頃、ベルクソンの生命哲学が国内でブームとなっており、馮友蘭も、これに非常に興味を持ち、「ベルクソンの哲学方法」という論文を発表しました。1924年博士学位を獲得した後、帰国し、中山大学や広東大学、燕京大学の教授を歴任。そして1928年清華大学哲学学部の教授、1929年には清華大学文学院の院長となりました。さらに1939年西南連合大学文学院の院長を務めたのち、新中国成立後の1952年、北京大学哲学学部で教鞭を執りました。同時に、中国科学院哲学社会科学部の委員、全国政治協商会議の委員でもありました。彼は長年教育活動に携わっているほか、「人生哲学」、「中国哲学史」「新事論」、「新原人」、「新知言」など、哲学における多くの著作を書きあげました。
去年、北京大学、中国社会科学院、清華大学などの共催で「馮友蘭生誕110周年記念及び馮友蘭国際学術シンポジウム」が北京で開かれました。出席者は彼の近現代学術史上における地位について、次のように評価しています。
「彼は正確かつ素朴、総合的に中国の伝統的な哲学思想を解明した中国哲学史上,大きな功績を残した"集大成者"である。西洋の現代ロジックと理性主義で中国の伝統的哲学を改造し、中国哲学史という領域を創設し、「新理学」という新しい体系を確立した。彼は中国哲学とは何たるかを人々に知ってもらうと共に、中国の伝統哲学を現代的に発展させる方向性と方法論を示した。彼の研究成果は後世の学者が中国の伝統的な哲学を理解する上での基礎を築き、また、外国の人々に中国の哲学や文化を理解してもらうことに、大きく寄与した」
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