ジャスミンの花、中国語では「茉莉花」。広辞苑には、こう書かれています。
『茉莉花ーーモクセイ科の常緑小低木。インド原産の香料植物。ジャスミンの一種。葉は楕円形。夏の夕、白色・盆形で芳香の高い五弁花を開く。温室で栽培。中国では南部で栽培し、乾花を茶に入れ、ジャスミン茶とする。』
ジャスミンの花は東漢の時代(西暦25年ー220年)に、仏教と共に山西省の五台山に入り、栽培されるようになったそうです。
道光十七年(1837年)、貯香主人が編集した「小慧集」には「ジャスミンの花」という曲が記されています。
(歌詞)
『きれいな花、きれいな花
我が家にやってきた
家を出なくても花を摘むことができる
ジャスミンの花よ
きれいな花、きれいな花
我が家にやってきた
家を出ようと思ったら
その匂いを嗅ぎたくなる
ジャスミンの花よ』
また、河北省深沢地区にも「ジャスミンの花」の民謡があります。
『ジャスミンの花よ
ジャスミンの花
両手に持って街のあちこちを歩く
愛しい人に買ってあげて
ジャスミンのような人よ
ジャスミンの花よ
ジャスミンの花
両手で持つ
純白な花、みんなが称えている
髪に飾りましょう
その香り、私を包む
早く家に帰りたいね。』
さて、河北省あたりに、また、次のような合唱曲「ジャスミンの花」があります。中国の伝統戯曲のひとつ、「西廂記」(西のひさしの物語)が歌の内容となっています。
『*西廂記(せいそうき。西のひさしの物語)
唐の物語。受験生の張君瑞(ちょうくんずい)は、科挙の試験を受けるための旅の途中で、蒲東(ほとう)の地に通りかかり、普救寺に宿を借りた。そこで、今は亡き前の大臣の娘、崔鶯鶯(さいおうおう)と出会い、一目惚れした。張君瑞は、崔鶯鶯の女中である紅娘(こうじょう)に、自分たちの仲を取り持ってくれるよう頼んだが、逆に叱られた。
そんな中、軍人の孫飛虎(そんひこ)が反乱を起こし、美しい崔鶯鶯を手に入れようと、普救寺を包囲した。鶯鶯の母親は、誰でもいいから孫飛虎の軍を撃退した者に娘を嫁がせると約束する。張は、友人である白馬将軍・杜確(とかく)に手紙を書いて救援を頼み、孫飛虎の軍に包囲を解かせる。
しかし、鶯鶯の母親は、一介の受験生に娘を与えることを嫌がり、約束を反故にして、張君瑞と鶯鶯を義理の兄妹とすることでごまかそうとした。張君瑞は失望し、紅娘に助けを求めた。今度は紅娘も同情し、張君瑞が書いたラブレターを鶯鶯に渡した。張君瑞は夜、壁を乗り越えて鶯鶯の部屋にしのびこんだが、鶯鶯に叱られて追い返された。彼は憂悶のあまり病気になった。その後、鶯鶯は紅娘の手引きで、夜こっそり張君瑞の部屋に忍び込む。
鶯鶯の母親は、自分の娘が張君瑞と関係を持ったことを察し、手引きした紅娘を鞭で打った。紅娘はひるまず、鶯鶯の母親が約束を守らなかったことこそ悪い、と訴えた。鶯鶯の母親はやむをえず、張君瑞が科挙の試験に合格したら、今度こそ二人の結婚を認めると約束した。しかし、またしても鶯鶯の母親は約束を破り、娘を大臣の息子に嫁がせようとする。張はやむなく長安の都にでかけ、努力の末、科挙の試験に合格する。一方、大臣の息子は鶯鶯に「張君瑞は他の大臣の娘と結婚した」と嘘をつく。まもなく帰ってきた張はその誤解を解き、二人は無事、結婚する。』
次は、合唱曲の歌詞です。
『(女、合唱)可憐なジャスミンの花よ
可憐なジャスミンの花
花が咲いた
花に敵うものはない。
(女、独唱)一輪摘んで髪に挿したいと思うが、
花守さんに叱られるでしょう。
(女、合唱)一輪摘んで髪に挿したいと思うが、
花守さんに叱られるでしょう。
(男、合唱)八月は、木犀がいい香りを漂わせる
九月は、菊の花は金色で輝く
ああ、あの張生が塀を乗り越えた
(男、独唱)崔鶯鶯が、ドアを閉めた
(男、合唱)崔鶯鶯が、ドアを閉めた
(女、合唱)ドアを開けた。ドアを開けた。張家の次男が立っているじゃないか。
(女、独唱)張生は、急いで挨拶した、こっちは、照れくさくて、お辞儀をする
(男、独唱)張生は、急いで挨拶した。
(合唱)こっちは、照れくさくてお辞儀をする。』
(担当:藍暁芹)
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