オリンピックは人それぞれにとって違う意味を持つかもしれません。世界各国から集まる1万人以上のトップアスリートにとって、オリンピックは自らのパフォーマンスを最大限に発揮し、メダルを競い合う場ですが、一方、北京市の1300万人の市民にとっては、いろんな人と触れ合い、いろんな体験と出会う場所となるのでしょう。
ただ、オリンピックを楽しみにしているのは、中国人だけではありません。北京に生活している外国人も、もちろん、来年の8月8日夜8時を今か今かと心待ちにしています。
ポーランド人のタテラさんとその家族は現在、北京に暮らしています。一見、普通の外国人家族のように見えますが、実は、そうではありません。タテラさん一家は知る人ぞ知る「オリンピック一家」なのです。
タテラさんたちは、これまでオリンピックに6回も参加したことがあります。選手として参加したわけではなく、一般の市民として「参加」したということです。
1960年、当時12歳だったタテラさんは、この年、イタリアで行なわれたローマオリンピックを初めて見ました。オリンピックは幼いタテラさんに深い印象を残しました。競技を見た後、タテラさんは家の近くの競技場で近所の仲のよい子供たちを集めて、小型のオリンピックを開催し、ポテトでメダルを作って渡していました。
その後、タテラさんはポーランドのオリンピック委員会の事務局長を9年間務め、その後の各大会に運営側として参加しました。タテラさんにとって、最も忘れがたいオリンピックは、1996年のアトランタ大会です。これは、家族3人そろって参加した初めてのオリンピックだったのです。その当時のことについて、タテラさんの奥さんにお話を伺いました。
「オリンピックは毎回違うのですが、アトランタ大会は最も印象的でした。家族で参加した初めての大会でしたから。当時、娘は11歳でした。私たちは娘と一緒にシカゴや、アトランタまで行き、そこでポーランド代表団のためにたくさんのプロモーション活動に手伝っていました。すべての競技種目を見ることはできなかったのですが、オリンピックならではの雰囲気を十分味わいました。」
さて、2001年7月13日、モスクワで開かれた第112回IOC総会での投票により2008年オリンピックの北京開催が決まりました。イスタンブール、大阪、パリ、トロントを破っての決定だったんですが、このとき、タテラさんも、ポーランドオリンピック委員会の一員として、会議に出席していました。
その時のことについて、タテラさんは現在でも昨日のことのようにはっきり覚えています。2001年7月13日の夜、国際オリンピック委員会の当時のサマランチ会長が2008年の主催国を発表する前、タテラさんは数人の中国人と顔を合わせたそうです。彼らは北京オリンピック招致委員会のメンバーたちでした。タテラさんはその夜のことを話してくれました。
「私は、最初、北京が勝つとは思っていなかったのです。しかし、最後のプレゼンテーションで、北京はとても印象的でした。これを聞いて、北京にも可能性が十分あると思っていたら、何と、本当に北京が選ばれました。今から思えば、すべてが非常に自然に進んできたような気がします。ました。サマランチ会長が、2008年の開催国を「北京」だと発表したとき、私は思わず周りの中国人に祝福の握手を求めて、かけよっていました。」
ということで、タテラさんはいつも自分が北京に祝福の気持ちを表した第一人者だと自慢しています。北京オリンピックとの縁もその時から始まりました。偶然のチャンスでタテラさんは北京に派遣され、ここで仕事するようになったのです。
そんなオリンピック一家の一員、娘のビアタさんも、やっぱりオリンピックに大きな関心を持っています。今年22歳のビアタさんは、現在、北京語言文化大学で中国語を勉強しています。2008年には、ぜひとも北京オリンピックのボランティアとして関わりたいと考えています。
「ポーランドにいる私の友達はよく、北京はどんな街なのって、私に聞きます。みんな中国にすごく関心を持っていて、北京に来たいと思っているんです。北京オリンピックの期間中、ぜひ、世界各国からやってくる友人の役に立てれば、そして父みたいに、オリンピックの発展に少しでも貢献できればなあって思っています。」
さて、オリンピックに深い縁のあるタテラさん一家にまた楽しみな出来事がありました。今月9日、北京オリンピック組織委員会は世界に向けて「オリンピック家族」を募集し始めたのです。この「オリンピック家族」というのは、世界各国から、家族で北京オリンピックを応援する家族を募集するものです。応募のあった家族のうち10家族を選んで、今年8月8日に開かれるオリンピック一周年カウントダウンイベントに招待することになっています。タテラさん一家は、これに応募した最初の家族になりました。
「オリンピック家族」と・・少し抽象的なものなんですが、要はオリンピックを家族で応援してくれる応援団を世界中に作ろうというわけです。そういう意味では、タテラさん一家は、まさにぴったりの家族かもしれません。
どうしてオリンピック家族に応募したのかについて、タテラさんは、「この魅力的な大会にぜひ私も参加したい。北京にいる私たちが、より北京オリンピックに近いところにいようとするのは、ごく自然なことだ」と答えています。
オリンピックの時に、家族でボランティアに参加したり、競技を見に行ったりして、家族でオリンピックの運営に協力した経験を通じて、世界の大家族に自分達が溶け込んだような、不思議な高揚感を感じることができるといわれます。それが恐らく、子ども達にとっても、一生の思い出になるでしょうし、一家にとって大きな誇りになるでしょうから・・・来年のオリンピックでは、一つでも多く、そういう幸せな家庭がオリンピックを通じて、生まれればいいですね。(文章:王丹丹 04/16)
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