(1)競技の歴史
剣の歴史は古く、青銅器時代まで遡るという。フェンシングの原形は中世の騎士たちによる剣技にあるとされる。その後、火器の発達でフェンシングは戦闘の手段としては大幅に後退したものの、その繊細な剣のテクニックは多くの人に愛され、19世紀の末にはヨーロッパ各地で盛んに競技として行われるようになった。フェンシングではフルーレ、エペ、サーブルの3種の武器があり、これらがそのまま種目名となっている。これらの武器は19世紀末ごろに標準となったものである。だが、当時は統一した組織もなく、競技方法やルール等もまちまちで、判定を巡って争いが絶えなかった。
1914年6月、パリで開催されたIOC総会で統一的な「競技規則」が採用された。ここでフェンシングの全種目(フルーレ、エペ、サーブル)に渡って、ルールが討議、検討された上、満場一致で可決されたもので、現在のFIE(国際フェンシング連盟)ルールの原典ともなっている。
それまで、競技の判定は肉眼で行われていたが、1936年、まずエペ種目に電子審判器が導入され、その公正さが認められると、その他の種目も電子化された。それにともなって、競技人口も急激に増加したとされる。
(2)中国におけるフェンシング
中国は男子団体のフルーレで2000年のシドニー大会、そして2004年のアテネ大会、いずれも銀メダルを獲得している。またアテネでは男子エペ個人でも王磊が、女子サーブルで譚雪が銀メダルを獲得。
ただ、4月初めに行われた国際フェンシング連盟で、2008年北京五輪では、男子フルーレ団体と女子エペは実施されないことが決まった。中国にとっては、アテネのメダル種目である得意種目が一つ削られる結果となった。
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