(1) 競技の歴史
サッカーは古代中国、ギリシャ社会でも楽しまれていたという説があるほど古くから親しまれている競技。現代サッカーは1863年設立の英国サッカー協会とともに始まった。
オリンピック競技に加わったのは1900年の第2回パリ大会からだが、1932年第10回ロサンゼルス大会で一度姿を消した。これは1930年にワールドカップが始まり、その権威を高めていったがために、アマチュアだけに出場資格が与えられたオリンピックの地位が極端に下がったためだ。1936年の第11回ベルリン大会から再びオリンピック競技となったものの、第二次世界大戦後は、FIFA(国際サッカー連盟)もアマチュア主体のオリンピックから、プロ主体のワールドカップにその重点を移すようになってきた。
こうした状況に変化があったのは1984年のロサンゼルスオリンピックにおけるIOC(国際五輪委員会)による「プロ解禁」であった。そして1992年のバルセロナ大会からは出場資格を「23歳以下」とする規定が導入される。これにより、オリンピックにおけるサッカーは年代別の世界選手権の一つとして、フル代表によるワールドカップと住みわけを図っている。
女子サッカーがオリンピック種目に加わったのは1996年第26回アトランタ大会で、決勝の中国対アメリカは女子スポーツ史上最多の76000人が観戦した。なお、女子に関しては年齢制限はない。
(2) 中国の競技の歴史
近代サッカーはイギリスで生まれたが、サッカーの源流は漢の時代、中国の山東省にあると言われている。しかし、現在の形としてサッカーが伝えられたのは19世紀中ごろのこと。サッカー協会は1924年に設立された。卓球、バスケットボールと並んで、中国で最も人気のあるスポーツである。
FIFA加盟は1934年。その後脱退したものの1979年に再加盟。
1988年ソウル五輪予選で日本を破る。
1994年にプロサッカーのCリーグがスタートし、代表チームも急成長。
そして中国のサッカー史における最大の出来事は2001年に起きた。2008五輪の北京開催が決定したその年の10月7日、遼寧省で行われた2002日韓W杯予選でオマーンを破り、中国史上初のW杯出場権を獲得した。半世紀、7度にわたる挑戦の末、ようやく手にした"W杯切符"であった。
しかしその "快挙"にさきだって、女子サッカーはすでに「世界」に台頭した。1996年のアトランタ五輪では銀メダル獲得。続く1999年の女子ワールドカップでも決勝進出。アトランタと同じく、決勝ではアメリカと対戦し、PK戦まで持ち込んで、優勝こそ逃したもののその実力を世界に知らしめた。
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