冬季オリンピックが始まったのは1924年。夏季大会に28年遅れてスタートした。
まずは冬季五輪誕生の前史を見てみよう。1908年のロンドン大会では、冬場のスポーツであるフィギュアスケートが初めて取り入れられ、大いに人気を呼んだ。また1920年のアントワープ大会で、フィギュアスケートのほか、アイスホッケーも新設された。この大会は全体的に観客の関心が低かったものの、この二つの冬季種目には、数多くの観客が観戦に訪れた。そこで、これらを独立させて、冬季オリンピックとして開催するという案が持ちあがった。
1922年IOC・国際オリンピック組織委員会のパリ総会で、1924年のパリ大会までに、冬季五輪を開催することを決定した。ただし、このときは『オリンピック』という名称を使わず、『国際ウィンタースポーツ週間(International Winter Sports Week)』という名前で、主催はフランス。国際オリンピック委員会(IOC)が後援するという形で、実施されることになった。
『国際ウィンタースポーツ週間』は、1924年1月25日から2月4日にかけて、フランスのシャモニー・モンブランに行われた。シャモニー・モンブランは、アルプスの最高峰モンブランの麓にあり、海抜1050m、リゾート地であるとともに、冬季スポーツのメッカとしても知られていた。
当時から、冬季種目が盛んだったノルウェー、フィンランド、スイス、オーストリアなど16ヶ国から258人(うち女子が13人)が参加。スキー(距離、ジャンプ、ノルディック複合)、スケート(スピード、フィギュア)、アイスホッケー、ボブスレー(4人乗り)と、公開競技のカーリング、ミリタリー・パトロール(バイアスロンの前身)が行われ、合わせて6競技16種目が設けられた。
ノルウェーはスキー50kmと複合で1~3位を独占し、15kmとジャンプでも1、2位を占めた。スピードスケートはフィンランドが4種目を制し、フィギュアスケート男子もスウェーデンが勝つなど、北欧3カ国が14種目中9つの金メダルををさらって面目を施した。このため、初めての冬季オリンピック大会は、「北欧の大会」との印象が強かった。
天候にも恵まれ、シャモニー大会は成功裏に終わった。IOCは大会翌年の1925年5月に行われたプラハ総会でそれを認め、シャモニー大会を第1回冬季オリンピックとして追認。さらに第2回大会を1928年にスイスのサンモリッツで開くことも決めた。
また翌年5月、リスボンのIOC総会で取扱い規定が定められ、冬季大会は正式にオリンピック・ファミリーの一員となった。
また、冬季五輪の誕生を機に、北欧とアルペン諸国が手を結び、国際スキー連盟(FIS)が創設され(1924年)、翌年から世界選手権が始まった。冬季五輪の誕生は、これまでマイナーな存在だった冬季種目を世界に認知させる大きな転機となったのだ。
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