第1回と第2回の冬季オリンピック成功は、人々の冬季スポーツに対する興味を引き起こし、開催権を望む国の数も増えてきた。第3回大会の誘致に動いたのは、モントリオール(カナダ)、レークブラシッド(米国)などを始め8つの都市。結局、IOC・国際オリンピック委員会が選んだのは、レークブラシッドだった。
レークブラシッドは、アメリカ北東部の山に囲まれた小さな町で、人口は多くない。冬になると、気候が乾燥し、寒さが厳しいが、冬季スポーツは非常に盛んだった。
大会の組織委員会は56ヶ国に招待状を送ったが、世界的な不景気に見舞われていたため、最終的に出場したのは17ヶ国252人(女性が21人)に過ぎなかった。このうちカナダとアメリカの選手が合わせて150人で半分以上を占めた。人数と規模面からは、前回より縮小した形となった。
スキー、スケート、アイスホッケー、ボブスレー、合わせて4競技14種目が設けられた。カーリングと女子スピードスケートが公開競技として行われた。
1932年2月4日の開幕式には、当時のニューヨーク州長官、後にアメリカ大統領となるルーズベルト氏が出席し、熱意溢れるスピーチを行った。その中で、彼はスポーツが人間の相互理解を促す役割を強調した。
天候の影響で、延期される種目があったため、大会日程は予定より2日間延びた。主催国アメリカが金6個、銀4個、銅2個でメダル総数トップ。前回のトップだったノルウェーは2位に順位を落とした。スウェーデンが第3位。
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