1924年1月25日から2月4日までフランスのシャモニーで行われた『国際ウィンタースポーツ週間』は、スポーツ界で反響を呼び起こした。以前反対した人たちも、冬季オリンピック大会を開く必要性があることを疑わなくなった。1925年5月のIOC総会では『国際ウィンタースポーツ週間』を認め、シャモニー大会を第1回冬季オリンピックとして追認した。また、夏のオリンピック大会と同じ年に、冬季の大会を開くことも決めた。
第2回大会の誘致に動いたのは、スイスのサンモリッツなどの3つの都市だが、結局スイスのサンモリッツで開かれることが決まった。サンモリッツは、スイスの南東部に位置し、当時人口は5千人未満だった。アルプス山脈に囲まれているが、飛行機と列車が利用でき、交通が便利だ。リゾートと観光の名所であり、冬季スポーツの専用地として名が知られている。
第2回冬季オリンピックサンモリッツ大会は、1928年2月11日から19日にかけて開かれ、25の国の464人(女子が26人)の選手が競技に参加。スキー、スケート、アイスホッケー、ボブスレー4競技、14種目が設けられた。ドイツ、オランダ、ルーマニア、リトアニア、ルクセンブルク、メキシコ、日本、アルゼンチン、エストニアが初めて選手を派遣した。
スイスのサンモリッツは、良好な天候が続くことで有名だが、この年の冬は、天候が激変した。雪吹雪の天気もあれば、気温が急に上り雪が溶けてしまう日もある。これによって、ある競技は実施が困難になり、選手の実力発揮に影響をもたらした。スケート1000Mは、まさに中止に追い込まれてしまった。
この大会では、ノルウェーは、6個の金メダルを獲得し前回に続きランキングトップに輝いた。アメリカ、スイスは、それぞれ2位、3位だった。
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