1936年の第11回大会は、ドイツのベルリンで行われる。49ヶ国4066人(女子は328人)が出場。主催国ドイツがもっとも多く、406人。続いてアメリカ330人、ハンガリー211人。アフガニスタン、ボリビア、コスタリカ、リヒテンシュタイン、ベルーが初めて選手を派遣した。
大会に先立って行われた1934年の五輪組織委員会で、オリンピック聖火を大会期間中、メインスタジアム内に点し続けることが決定。また聖火は、アテネにある五輪の聖地"オリンピア"から採取して、リレー方式で運ぶことも決定された。
ベルリン大会の聖火リレーは、ギリシアとドイツをはじめ、7ヶ国を経由する3075キロ。一人の聖火ランナーがトーチを持って1キロずつ走行するため、合わせて3075人が聖火リレーに参加した。
中国は、69人(女子2人)の選手団を派遣し、陸上、水泳、重量あげ、ボクシング、自転車、バスケットボール、サッカーに出場した。ただ、棒高飛びに出場した符保ロが予選通過したほかは、全て予選敗退。選手団以外に、「体育視察団(男子35人、女子2人)」と中国カンフーのチームも公演のため随行。華麗なカンフーの実演は外国人を大いに驚かせた。
今大会、主催国ドイツが金33個、銀22個、銅30個で、総メダル数1位。アメリカとハンガリーがそれぞれ2位と3位。金メダリストにはメダルに加えて、オリーブの鉢植えが贈られた。これが「勝者にオリーブを贈る」という古くからの慣習の最後となった。(2004アテネ大会ではオリーブ冠の授与が特別に復活した)
今大会は、多くの国に放送用の周波数が提供された。これにより五輪大会の中継放送にも新しい1ページが開かれたのである。
|