2008年には北京オリンピック、2010年には広州アジア大会など、中国のスポーツ事情に注目が集まっています。そんななか、スポーツの魅力を発信したいと、中国で活躍している日本人がいます。坪井信人さんです。
坪井さんは現在、北京市内の「オーシャンズ」という中国企業で、中国におけるスポーツ関連マーケティングやコンサルティングの仕事に携わっています。
大学を卒業後、坪井さんは日本の出版社で、ライターの仕事をしていました。しかし、専門分野がないことに悩み、新しい展開を求めて、1998年、25歳で北京へ留学しました。その後、日本での経験を生かし、中国の雑誌社に勤務しました。2000年、ある取材がきっかけで、中国で、スポーツに関わる仕事がしたいと決意します。
中国にとどまり続ける理由について、坪井さんは「中国の民間野球クラブを取材させてもらい、初めて『中国にも野球がある』と知った。当時は、今以上に、中国で野球はマイナースポーツで、ビジネスとして成り立たない時代。しかし、野球を何とか広めたいと、ボランティアで取り組んでいる人たちがいた。『これは面白いな、私も何らかの手伝いができたらいいな』と。一度日本社会を飛び出した人間としては、人と違うことをしたいと思った。『中国野球を盛り上げる仕事ができたらおもしろいんじゃないか』と、中国に残ることにした」と語ってくれました。
坪井さんはもともと野球が好きでしたが、当時の中国には、野球を知っている人がほとんどいないような状態で、残念に思っていたそうです。そんなときに、大学や高校をまわって野球の普及に努めているクラブの存在を知って、突き動かされるものがあった、ということです。
その取材のあとも数年間、出版の仕事を続けていたそうですが、2004年、転機が訪れます。いつものように取材に出かけた坪井さんは、取材現場で、スポーツマーケティングの会社を起こしている中国人男性と出会い、彼と話をするうちに転職を決意します。坪井さんは、「出版とは違う世界に飛び込んでみようと思った。私の最終目標は、スポーツを通して自分も楽しむこと。その楽しさを人にも与えたいという気持ちがある。スポーツの核心にあたる部分で仕事をするスポーツマーケティングやコンサルティングなどのほうが、記者よりももっと現場に近い場所で仕事ができる。わたしもぜひ、やってみたかった」と当時を振り返っています。
2004年、その中国人男性が経営する「オーシャンズ」に入社しました。以来、社内唯一の日本人スタッフとして、奮闘する毎日だそうです。休みの日も、選手をはじめ、スポーツ関係者に会いに行くなど、中国のスポーツ事情について勉強中だそうです。
中国スポーツ界は、いま大きく変わろうとしています。坪井さんは、「これまでは、国の方針でいい選手を育てようという取り組みがあった。国威発揚になるし、いい選手が出ればそのスポーツも人気が高まる。ところが、生活水準があがって、人々はいろんなことに興味が向くようになった。自分で積極的にスポーツに取り組む人も増えてきた。こうした状況では、アマチュアからトップに上り詰めるケースも当然出てくるだろう。この大きな転換期が、北京五輪のあとにやってくるんじゃないかと思う。アマチュア選手が増えたほうが、当然スポーツは発達する。中国がエリート育成システムを放棄したときに、本当のスポーツ大国になるのではと感じている」と語りました。
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