おたがい?漢字の国?だから、草の根交流が大切ではないか!!
中国の知識人・文化人向けの新聞として知られる「光明日報」。日本での知名度は低いですが、中国では幾多の革命運動の火つけ役となったことで知られています。その「光明日報」の東京支局長である厳聖禾さんに日本への思いとこれからの日中友好について聞いてみました。
聞き手は、張国清中国国際放送局東京支局長です。この記事は、東方通信社発行の週間雑誌「コロンブス」2006年10月号に掲載されています。
偶然の来日がキッカケで光明日報の東京支局長に
張国清:厳さんは中国の新聞「光明日報」の東京支局長を務めていますが、まずは日本語の勉強をはじめたキッカケからお聞かせください。
厳聖禾:実は、私はみずから進んで日本語の勉強をはじめたわけではないのです。大学に進学するときは、語学よりも哲学や政治学を専攻したいと思っていました。ところが、高校のときに英語の成績が良かったこともあって、外国語部日本語科に配属されてしまいました(中国では大学側が学生の専攻を決定する場合が多い)。日本語の勉強をはじめたのは、そのときからです。しかし、大学2年のときには、すでに日本語を勉強してよかったと思うようになりました。日本語の勉強を通して、インターネットで日本のホームページを見たり、日本語で書かれた本を読んだりして、これまで知らなかったことをつぎつぎと知ることができたからです。
張:卒業後はどういった進路を選んだのですか。
厳:首都・北京にあこがれて、北京にある政府系の研究所で働くことにしました。
張:その後、光明日報にはどういった経緯で入社したのですか。
厳:研究所で働いていた03年に、日本の外務省から招待されて、はじめて来日をはたしました。そのときの訪日団のなかに光明日報の記者がいたのです。そして、その記者と親しくなるうちに「せっかく日本語を勉強してきたのだから、記者として日本の支局で働いてみないか」と誘われたのです。来日してみて、日本への興味はますます強くなっていました。と同時に「もっと日本のことを知りたい」と思うようになり、日本支局で働くことにしました。
張:実際に日本で生活してみて、どういった印象を受けましたか。
厳:日本はとても美しいところだと思います。中国の都市部は大気汚染が進んでいるところが多く、環境が急激に悪化しています。その点、日本は都市部であっても、快適に過ごすことができます。物価が高いことを除けば素晴らしい環境ではないでしょうか。また、私は日本の田舎に出かけるのが好きです。とくに、海や温泉街に行ってノンビリ過ごすのはサイコーですね。
張:日本で記者として働くことにプレッシャーを感じることはありませんでしたか。
厳:もちろんありました。私の前に東京支局長を務めていた記者は、定年を迎えるまで日本にいたベテラン記者でした。それに比べ私は、記事を書くのもズブの素人だったので、とてもプレッシャーを感じました。そのため、最初の頃は何を書いていいのかもわからず苦労しました。また、たとえ書いてもなかなか本社(北京)から採用してもらえない時期がしばらくつづきました。
さすがに最近は、記事を書くことにも慣れてきましたが、いまだに自分の知識不足には悩んでいます。大学時代に日本語の勉強はしていましたが、日本の政治、歴史、文化といったことを学ぶ機会はありませんでした。ですから、先日、小沢一郎氏が民主党の党首になったときも、まずは彼の略歴や政治的な背景を知るために、図書館などで関連した書籍を探すところからはじめなければならないのです。そうでもしないと、とても記事を書くことができないのです。
張:ところで、最近はどのような記事を中心に書いているのですか。
厳:多岐にわたっていますが、主に力を入れているのは、日本の文化についての記事です。日本と中国の文化は大きく違います。たとえば、靖国問題もそうした文化の違いが引き起こしたものだと考えることができます。ですから、ひとりでも多くの中国人が日本の文化を知ることができるように努力しています。
進化をつづける光明日報 政府系のメディアも変化
張:光明日報といえば、中国では有名な新聞ですが、日本での知名度はイマイチです。中国共産党の機関紙で、300万部以上の発行部数を誇る人民日報とは、どういった点がことなるのでしょうか。
厳:人民日報は中国共産党の機関紙です。そのため、共産党員はみんな、人民日報を購読する義務があります。そのため、内容は政府系の記事がほとんどで、政治や国策についてはどの新聞よりもはやくて正確な情報を掲載しています。光明日報は政府系の新聞ではありますが、全党員が購読を義務づけられるものではありません。そのため、購読者によって支えられています。
張:光明日報には具体的にどのような特徴があるのですか。
厳:そもそも光明日報は中国の文化人や知識人向けに創刊された新聞です。78年には「実践は真理を検証する唯一の手段」という記事を掲載し、先進的な改革を提唱したことで注目されました。現に、それまでは毛沢東をはじめとするリーダーたちが時代を牽引していましたが、この論文をひとつの契機にして、中国ではさまざまな規制緩和がはじまったのです。そういう点でも、非常に価値のある新聞だと思います。
張:光明日報は最近になって、方向性を変えたように思いますが、いかがですか。
厳:以前は海外のニュースを収集することが中心業務でしたが、最近になって、外国の文化をもっと国内に紹介していこうという方向性を打ち出しました。また、03年には広東の「南方日報」と共同出資して「新京報」という新聞を発刊しました。これは機関紙的な要素が少なく、文化、芸能といった情報も盛り込んだ庶民的な新聞です。広告もイッパイ入っており、これまでの光明日報にはない面白さがあります。
張:日中交流について、何か取り組んでいることはありますか。
厳:東京大学や早稲田大学の学生たちのサークルに月に1回くらい参加して、意見や情報の交換をしています。中国の学生は学校や図書館にこもりがちですが、日本の学生は社会的な活動にも積極的だと思います。中国には日本のことを研究している人がほとんどいません。ですから、日本について、なかなか正確な情報を得ることはできないのです。とはいえ、日本と中国は漢字をはじめ数々の共通点もあります。ですから、こうした草の根的な交流を通じて、文化や歴史認識のギャップを埋めることはできるはずです。
張:おたがい中国のメディアとして、少しでも日本の正しい情報を中国に向けて発信していきましょう。本日はどうもありがとうございました。
光明日報が中国のオピニオンリーダーを育てる
1949年に中国民主同盟主宰で創刊。94年には中共中央宣伝部直轄になった。知識人や文化人向けの記事や学術論文が多数掲載されている。理論性の高い内容で、数多くの改革の火付け役となったことでも知られている。世界中に約20カ所の支局を設け、国内外のニュースを収集している。現在の発行部数は80万部。
光明日報のホームページ(http://www.gmw.cn/)
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