[ニュースを通じて]
残念ながら、聞く会には一時期不幸な時代がありました。会員の熱意で再生した会では、私も役員のひとりになっていました。私が会の運営に深く携わることになったのは、機関誌「北京放送を聞く会ニュース」の編集をお引き受けしたからでした。コラム「走馬看花」も、毎号欠かさず書かせていただきました。
この「聞く会ニュース」の編集では、国内のリスナーの方々からしばしばお便りを頂戴し、意見交換をすることができました。ご承諾をいただいて、ニュースで紹介したお手紙もありました。また、半年ほどの期間でしたが、日本からの声のお便りを録音し、そのまま放送していただいたこともありました。録音といっても、自宅でカセットテープレコーダーにむかってしゃべるだけですから、雑音の入りにくい深夜に吹き込みました。寄せられたお手紙の紹介や、聞く会の活動を紹介しました。
「聞く会ニュース」では、リスナーにラジオではうかがえない北京放送局のようすを紹介したいと思っていました。しかし、思ったほど情報が手にはいらず、はがゆい思いをしたことも一度ならずありました。私が、中国語を学んでこなかったことも一因ですが、当時はなかなかこちらの希望通りの情報が送られてこなかったように思います。番組の内容の予告はたいせつな仕事でしたから、送られてくる原稿だけでなく、ファックスや電話で取材したこともありました。ラジオは声と音楽と音だけの、しかも一方通行の情報です。お便りの交換もありましたが、取り上げられる数には限りがあります。月1回の「聞く会ニュース」ですが、リスナーの方には少しはお役にたてたのではないかと思っています。
[語学の壁をこえて]
中国語のできない私が、長く聞く会の運営に携わり、北京放送局だけでなく、中国各地の放送局の方々と接する機会をもてたことは、日本語部の方々のあたたかい友情のおかげだと思います。言葉の壁を意識することなく、有意義な文化交流を続けてこられました。もちろん、この言葉の壁を越えられたのは、日本語部の方々の水準の高い日本語力によりますが、中国語ができなくても文化的交流ができることを実践してくださいました。誰もが文化交流を通じた日中友好に寄与できるということを強く実感したのです。ついに中国語を勉強しませんでしたが、これは日本語部の方々の日本語力をいいわけにした、まったく私の怠慢にほかなりません。
ふりかえりますと、一方通行のラジオを聞くだけの時代から、お便りを通じての交流、そして相互に訪問しての交流ができるまでになりました。私と北京放送のおつきあいも、もうすぐ四半世紀が過ぎようとしています。放送のあり方や、情報の伝え方は今後も変わっていくと思います。また、お互いの国と国の接し方も、一定ではないように思います。
しかし、北京放送を通じた「友情のかけはし」は、思った以上に丈夫な基礎が築かれています。残念なのは、この基礎づくりに携わってこられた多くの先輩が帰らぬ人となり、残された私たちもそれほど若くはないことです。聞く会の全国組織が解消されたことによって、若い世代との交流もとぎれています。今後は、北京放送局の若いエネルギーによって、両国の若い方々の交流が充実していくことを願っています。 1 2
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