写真説明:張国清・北京放送東京支局長(左)、辛赤邑(株)JCI代表取締役社長(右)
在日の青年科学技術者が結成 日中の経済活動を支援する!!
辛赤邑(株)JCI 代表取締役社長
1963年、中国河北省保定市に生まれ。86年吉林大学法学部卒業後、中国林業部(現・国家林業局)に入部。90年に来日。95年千葉大学社会学研究科修士課程を卒業後、(株)東京リーガルマインドで国際部主任研究員の職に就く。99年アルプス電気(株)本社経営企画室中国業務担当を経て、02年(株)ジェイ・シー・アイ代表取締役社長に就任。北京城建集団有限責任公司駐日本代表を兼任。
取材に当たったのは、張国清・北京放送東京支局長です。この取材内容は日本東方通信社の編纂による週間雑誌「コロンブス」2006年3月号に掲載されています。
研修生制度との出会いで 日中交流に尽力することに
張国清:北京放送東京支局長 まずは来日した経緯からお聞かせください。
辛赤邑:(株)ジェイ・シー・アイ代表取締役社長 私は86年に吉林大学の法学部を卒業したあと、中国で国家公務員になりました。ところが、その4年後に妻の意向で日本に住むことになったんです。というのも、彼女の父親は日本人だったのです。
張:来日する前後で日本に対するイメージは変わりましたか。
辛:来日する前は、限られた情報しかありませんでした。たとえば日本の映画に関しても、俳優といえば高倉健、山口百恵といった具合です。ところが、いざ来日してみると、イメージとは全然ちがいました。とくに東京の若者がチャラチャラしているのには驚き、不安になりました。ところが、実際に生活をしているうちに、日本という国の印象が変わっていったんです。そして、日本の大学でも勉強したいと思い、千葉大学の大学院で法律の勉強はじめたのです。
張:その間はアルバイトをしながら、日本語学校に通ったり、大学に行ったりと苦労も多かったでしょう。
辛:むしろ毎日の刺激が新鮮でしたよ。アルバイトに関しては京浜地域の町工場で働いていたんです。工場ならモノづくりの勉強にもなりますからね。また、その間に何回かホームステイをしてみたんです。千葉県の銀行家、自衛隊の中佐、大隈半島の農家、商店を営なんでいる社長の家と4つの家庭でお世話になりました。おかげで日本人がどんな風に生活しているのか、何を考えているかを知ることができました。とくに農家に2週間泊っていたときは、生活の様子に感動しました。おじいちゃんおばあちゃんの生活態度、また毎日の働きぶり、人への紳士的な接し方など、日本の良いところをタップリ体験することができました。こうした基盤があれば、日本はまだまだ大丈夫だなと実感したんです。
張:大学卒業後は、アルプス電気に入社されています。そこではどのような仕事していたのですか。
辛:アルプス電気グループはかなり前から中国進出を行っており、中国にたくさんの工場と販売法人を持っていました。そのなかで、私は本社の経営企画室で、本社立場から中国工場への生産移管、現地の工場建設、法人の設立、また現地の経営支援を行ってきました。
張:それから3年を経て(株)JCIを立ち上げたのですね。
辛:社名のJCIは、JAPAN、CHINA、INTERFACEを略したものです。つまり、日中の掛け橋という意味です。業務内容は中国ビジネス関連経営コンサルティング(本日の話で省略)及び中国人研修生の派遣・管理などです。研修生制度とは日本国政府の5つの省庁から支援を得て、財団法人国際研修協力機構(JITCO)が全体を統括しているものです。もともとの目的は、日本の優れた製造技術を発展途上国に伝授することです。そのために、海外から研修生というカタチで、日本で3年間の労働経験を積んでもらうわけです。現在の状況としては、1年目の身分は研修生。2年目、3年目は技能実習生という肩書きになります。また研修生から実習生になるためには試験があり、試験に通った人のみが技能実習生になり、落ちた人は残念ながら帰国することになっています。
張:どういった経緯で研修生制度に関わることになったのですか。
辛:友だちのなかに、偶然、研修生を受け入れている社長がいたのです。ある日、彼から「辛さんチョット研修生の話を聞いてもらえないか」と頼まれて、研修生の話を聞くことになったんです。これをキッカケに研修生制度に興味を持つことになりました。私は日中の法律制度の知識もありますし、政策面に関しても多少は人脈があります。そこで日中双方に人・金・物・情報の最適化をバックアップして、日中の架け橋になれないかと思い立ち、会社を設立することにしたのです。
研修制度の活用は 日中両国のメリットに
張:文化が異なる国の間に入るのはさぞかしタイヘンだったでしょう。
辛:たしかにそうです。ただし、前もってシッカリした基盤があれば、トラブルはそうカンタンには起きません。というのも、中国の派遣機関が研修生を選ぶときには、さまざまなチェック基準があるんです。たとえば研修生の場合、ビザが特殊なものになります。このビザには社名も明記されており、他社に所属することはできないのです。また、出国前の3カ月間は日本語・マナー・躾教育をほどこします。そこで、何か問題があった場合は、その場で失格になります。さらに、私たちのような派遣機関の駐在事務所が現場のケアにあたります。
張:ところで、日本の企業にとってはどのようなメリットがあるのでしょうか。
辛:今、日本の製造業系の中小企業では高齢化が問題になっています。また若者たちの労働意欲の低下も問題になっています。一生懸命働く研修生を入れることは、現場戦力の面でもプラスだし、日本人社員への新しい刺激にもなります。
張:中小企業が研修生と交流することで、中国進出するケースもありますか。
辛:勿論です。だからこそ研修生の選抜の際に、私はできるだけ社長みずからの目で研修生を見てもらいます。場合によっては研修生候補の実家まで確認に行くこともあります。その過程で、中国を実感できるわけです。実際に研修生を受け入れ3年が経ち、会社が中国に進出するタイミングで、卒業した研修生たちを中国現地の工場で雇うといったケースもありました。あと、もうひとつ私たちが提案しているのは、中国の工場で働いてもらう準備期間としてこの制度を活用することです。たとえば最近では、蘇州の工業団地に工場を持っている一部上場の会社から研修生がほしいという相談がありました。ならば、蘇州近辺で研修生を募集して、3年間、日本で研修すれば、日本語はもちろん、作業工程にも詳しくなります。さらに、日本の労働モラルや態度をよく理解したうえで、蘇州の工場で活躍してもらえるのです。
張:中国人の研修生はこの制度については、どのように考えているのでしょうか。
辛:業種はイロイロですが、日本の企業で3年間勉強できるのは非常に喜ばれているハズです。この制度で研修生として入国できるのは1回だけです。だからこそ意識を引き締めて試験にも臨んでくれるし、家族も全員で出国を支持している。そして帰ってきたら、稼いだお金でまずは親孝行をするのです。そのあとで、自分が日本で学んだ技術を何とか活用できないかと動き出すのです。
張:研修生制度は今後の日中交流のキーワードになりそうですね。
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