長野県長野市。北京放送と出会ったのは1978年8月の北京放送中国語夏季スクリーング長野県会場に参加したのが始まり。以降、北京放送を聞く会に入会。初中国訪問は1981年10月。1982年1月30日、長野県北京放送を聞く会設立、事務局長に。93年7月から長野県北京放送を聞く会会長に選出され、現在も会長として大活躍中。
北京放送を聞く長野県支部の設立
長野県北京放送を聞く会の設立は1982年1月30日、初代会長は金子卓一氏、設立に奔走された西原龍男氏は副会長に就任され、事務局に私が推されました。そのころ、私はまだ勤めの身で強く辞退したのですが、原案通りと決まり、次長に徳嵩靖氏を選出され、会員48名、顧問参与11名の聞く会が発足しました。この年、北京放送を聞く会の支部は日本の各都市に設立されたとも聞きました。尚東京の本部から北京放送訪日団を招聘したので、6月頃長野も訪問される予定との連絡で、早速歓迎実行委員会を構成し受け入れと歓迎の準備を始めました。
訪日団の受け入れと交流
北京放送訪日代表団をはじめて受け入れたのは、日本語部の朴世ご部長を初め、う淑芳、徐一明、平文智と白徳俊さんらからなる代表団で、一泊二日の慌しい日程でしたが、長野市近郊の観光地を案内したり、歓迎懇親会を開催したりして、代表団の皆さんとの暖かい交流ができました。これを機会に、長野県北京放送を聞く会は北京放送との交流が始まりました。その後、歴代の北京放送東京支局長や今は亡き陳真さんらを講演に招き、交流を続けてきました。特に印象に残ったのは陳真さんの話「中国の暮らしとことば」でした。日本人以上にその美しい日本語には感心しましたが、残念なことに3年前に亡くなられました。心からご冥福をお祈りします。
長野県北京放送を聞く会と長野中国語を学ぶ会が共催した「長野中国語学習友好訪中団」は中国を何回も訪れ、北京放送局を訪ね、日本語部の方々と交流しました。その楽しい思い出を度々思い出したりしています。これからも機会を作って訪れたいと考えています。訪中のたびに感じる北京放送局の皆様をはじめ、中国の人々の暖かい接待と交流、市井の人々の何気ない親切さなど、心に深く刻んでいます。本当によかった、また行って見たいと思わせるものがたくさんあります。
12月3日で北京放送日本語放送開局65周年を迎え、聴取者の一人として喜びに耐えません。おめでとうございます。今後の北京放送日本語放送のますますのご発展と皆様のご活躍をお祈りします。
|