王の居住する中心部は正殿(せいでん)と呼ばれ、別名「唐破風」(からふぁーふー)と呼ばれた。正殿の前に家臣らが謁見したり、中国からの使節を迎え入れたりするための御庭(うなー)と呼ばれる広場が設けられています。それを取り囲むように行政施設である北殿、儀礼などに用いられた南殿、御庭への入り口となる奉神門が建てられています。さらにそれを各種の門・城壁が取り囲む形になっています。これらの構造には、中国の紫禁城との類似性も指摘されています。また南殿は薩摩藩の接待のため使われたので、ここのみ和風の意匠が用いられていました。
首里城は政治・軍事の拠点であるとともに、琉球有数の聖域でもあります。以前は城内には十ヶ所の御嶽があり、また首里城内郭の南側の大きな範囲を「京の内(けおのうち)」と呼ばれる聖域が占めていました。「京の内」は十ヶ所の御嶽のうちの数ヶ所と、大木や岩がある鬱蒼とした森があるだけの場所だったが、この森こそが首里城発祥の地であり、首里城を国家の聖地とさせている重要な場所でした。聞得大君をはじめとする神女たちが京の内で祭祀を行っていたが、その祭祀の内容やはっきりとした京の内内部の様子はいまだによくわかっておらず、現在ここで行われた祭祀の研究に基づき公開に向けての整備工事が進められているが、完全な再現には至らないものと思われます。
首里城では現在も城内建物や城壁の復元がすすんでいます。ただし、本来の木造建築として復元された建物は正殿のみで、他の建物ではコンクリートを用いるなど外観の復元といえる。旧来の城壁は一部で見ることができます。
アクセス
モノレール:沖縄都市モノレール(ゆいレール)首里駅
バス路線:首里城前バス停 8番(首里城下町線) 沖縄バス
首里城公園入口 1番(首里識名線) 那覇バス 8番(首里城下町線) 沖縄バス 17番(石嶺線) 那覇バス 1 2
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