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中国人教員として(二)
   2005-08-24 14:25:38    cri
(2)母国語にふれる場を

 盾津中学校の中国からきた子どもたちは、1986年~92年にかけて来日した子どもたちがほとんどです。来日の背景は、祖父母のどちらかが日本人というケースがほとんどで、小学校1年のときに来た子どももいれば、中学校3年で、去年来た子どももいます。

 彼らにとって、一番大きな壁は言葉です。日本語がしゃべれない子どもが、現在10名います。そのうち5名は、ほとんど、日本語が分かりません。この子どもたちは、日頃、クラスで授業を受けていますが、私の仕事はこの子どもたちを抽出して、日本語教室で、毎日2時間ほど日本語の勉強をすることです。

 私は今まで一所懸命、1日も早く日本語をマスターさせようという気持ちが強かったのですが、それだけでいいのかと思うようになりました。というのは、小さい頃に来日して、今、中学生になっている子どもたちが、中国語を忘れているということ、また、子どもと親とが会話できなくなって、親子のコミュニケーションができなくなったという相談をいくつも受けたからです。こうしたことから、日本語だけではいけないと強く思いました。ある程度日本語を習得したら、同時に、中国語も忘れずに、もちろん言語だけでなく、文化も含めて教えていかないといけないと思っています。

(3)異文化・異言語の児童・生徒を理解すること

 名前のことですが、盾津中学校では、全員中国名を名のっています。これは私が勤務する前から、日本人教員たちの取り組みで、中国からきた子どもは中国名で呼ぼうと、実践されてきました。私のかかわった3年間の間に、他府県から何人か転入してきたのですが、広島とか名古屋から来た子どもたちは、日本名で来ました。転入の書類を見てびっくりした私は、親に盾津中学校の取り組みを説明しながら、「中国人として」生きてほしいことなどを話し、子どもたちとも話し合いました。そして、子どもたちも中国名を選択し、今では、全員中国名を名のっています。

 私は、いつも思っているのですが、たとえ日本語を上手に話せて、日本名を名のっていても、人々の心の中にある偏見や差別意識を克服できない現実があります。在日朝鮮人の問題もそうですが、日本名を名のっていても、就職や、結婚のときに差別されることもよくありますし、日本名を名のるといった表面的なことだけで、とても、解消できないと思います。

 私自身の体験ですが、4、5年前、アパートに住んでいました。そのときは、隣に日本人が住んでいました。ある日、ラーメンを作っていたところ、40才ぐらいのおじさんが出てきて、けんかというか、私たちのことを低く見て、「お前らは、いつも、ワシが分からん言葉をしゃべる。それが気にいらない。気分が悪い。」「それに、なぜ、食事を作るときに、旦那さんがいっしょに作るんだ。そんなもん、奥さんの仕事なのに。なぜ、いっしょにするんだ。それも気にいらん。」と言われたのです。その言葉に、私も気にいらないし、留学中で、勉強やアルバイトで必死だったので、まずは、勉強が大事と、妥協して引っ越しました。

 これは、お互いを理解し合うことが、どれほど難しいかという例ですが、常に双方の努力が必要だと思います。

 また、つい昨日のことですが、修学旅行の帰りのバスの中のことでした。私は、昨年の8月に来日した中国の子ども、ワン君につきそい、そのクラスといっしょに行動していました。ワン君は日本語がほとんど分かりません。が、3日間の旅行でずいぶん言葉も覚え、何より、初めての旅行で、びっくりしたこと楽しかったことが、いっぱいだったと思います。しかし、最後になって、つらいことがありました。新大阪から乗り換えたバスで、歌のカセットテープを聞くことになったのです。「誰かカセットテープをもっていませんか」の問いに、日本人の子どもたちは誰も返事をしません。言葉をずいぶん覚えたワン君が手を挙げて、「オレもっている。」と言いました。ワン君の言葉に、思わず、私と担任は拍手をしました。「それでは、ワン君のテープを聞いてみましょう。」と言ったとき、後ろの男の子何人かが、「そんなんいらん。」とそればっかり言いました。担任の先生が怒り「そんなこと言ったらダメ」というようなことで、あまり厳しくは怒りませんでしたが、とにかく、ワン君のテープを聞いてから、日本語の歌を聞こうということになりました。

 私はそのとき、(ワン君が日本に来てからつらいことがいっぱいあっただろうな。周りの子どもたちの理解も、まだまだだな。)と思いました。ワン君の表情を見ると、とてもショックな顔で、たとえ言葉が分からなくても、みんなのイヤな顔を見、周りの雰囲気で分かるのでしょう。ワン君と中国語で話しました。「私たちのこと、ダメだな。」ワン君は言いました。私はどう答えていいかわからず、「とにかく、中国の歌を聞こう」と話しました。

 東大阪の近くになって、中国の歌が終わりました。日本語の歌に入れ換えました。すると、「ああ、やっと日本に帰ってきた。」という生徒の声がしました。

 中学校3年で、歴史や地理など、いろんな知識を身につけてきたと思うのですが、10名の中国の子どもたちがいる学校で、まさかこんなことがあろうとは思いませんでした。これから、もっともっと努力し、取り組みを進めていかなくてはいけないと強く思いました。

http://kangaerukai.net/135niinan.htm

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