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戦後70年の日本友好人士、「中国人に感謝」

2015-07-27 15:17:00     cri    


平岡殉難者慰霊碑に献花する西田会長

 太平洋戦争末期に強制連行され、平岡ダムや御岳・上松発電所の建設に従事させられ亡くなった中国人の霊を慰める慰霊祭が26日、長野県の天龍村と木曽谷にある慰霊碑前で行われました。慰霊祭は「長野県北京放送を聞く会」の西田節夫会長や長野県国際課の土屋孝夫課長補佐、中国国際放送局孔子学堂責任者らが参列し行われ、出席者らは続いて満蒙開拓平和記念館を訪れました。これは戦後70年という節目の年を迎えて新たな平和への誓いを立てるとともに、今月31日に決定される2022年冬季オリンピックの開催地に北京・河北省張家口が選ばれるようにとの願いを込めて行われました。

 平岡ダム近くに建てられた「在日中国人殉難烈士」慰霊碑の管理に携わる平岡ダム管理所の伊藤正浩主任は、「中国の方々の血と汗の結晶で、様々な災害に耐えて日本に電力を提供する今の水力発電の礎を作ったこのダムを見ると、我々は感謝の気持ちでいっぱいだ。そういう意味でも、戦争には絶対に反対。政府が今、法律を変えようとしているが、国民全体の意見を反映できるような法律にしなければいけない」と述べました。


御岳殉難者慰霊碑


満蒙開拓平和記念館

 満蒙開拓平和記念館の三沢亜紀事務局長は、「(中国人は戦時中)土地を奪われ、苦しい生活に追い込まれたが、それでも戦後に日本へ帰れない開拓団の女性と子供を受け入れたという器の大きさに感動し、心から感謝をしています。今の若者はこの歴史を学んでいないため、彼らに、この記念館で客観的にこの歴史に出会い、どうして戦争そして誤った国策が進められたのかを考える力を与えられるよう努めている」と話しました。

 太平洋戦争末期、国内の労働力不足を担うため、多くの中国人が捕虜として日本に強制連行され、ダムや発電所の建設工事に従事させられました。劣悪な環境のもとで、244人の中国人が無念の死を遂げました。その中の7割が河北省の人でした。今では長野県の地元の日中友好活動に携わる関係者が何十年にもわたって慰霊碑の清掃をしています。(取材・写真 張怡康)

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