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河南省安陽市の邸宅跡、馬氏庄園
   2008-10-16 11:57:05    cri

 河南省の安陽は太行山やエン河に囲まれ、気候条件も良いことから、古くから文明が発達してきました。安陽には世界的に有名なものがあります。中国で最初の王朝と言われる「殷」の時代の都跡「殷墟」です。この「殷墟」からは甲骨文字が出土しており、世界文化遺産にも登録されています。

 現在は、総面積7413平方キロ、総人口536万6000人の都市に成長しており、漢民族をはじめ、ホイ族、モンゴル族、ミャオ族など43の民族が暮らしています。

 中国最古の王朝が生まれた土地には歴史的な建造物も多く残されていていますが、その中に「馬氏庄園」という馬一族の邸宅跡があります。観光地としてそれほど有名ではありませんが、その規模や美しさは一見の価値があります。

 「馬氏庄園」は安陽市の中心部から15キロ離れた蒋村郷というところにあります。清の時代、馬丕瑤という人物が所有していた邸宅です。馬丕瑤は広東省と広西省(現在の広西チワン族自治区)を管轄する「総督(今で言えば省長にあたる政府高官)」でした。馬丕瑤には男の子4人・女の子3人の合わせて7人の子供がおり、家族はみな、この「馬氏庄園」で暮らしていました。

 「馬氏庄園」は清の時代の典型的な建築様式で、北・南・中央の3つのエリアに分かれています。総面積は2万平方メートル余り、建築面積は5000平方メートル余りに及び、敷地内には合わせて308棟の建築物が配置されています。

 敷地内には祖先を祭る廟もあって、当時の慣習に従い、中央エリアの東部に建てられています。昔は、清明節や端午の節句、冬至などの祝祭日に、廟で祖先を祭る儀式を行っていました。馬氏一族も祝祭日には一堂に集まり、祖先を偲び、子孫の幸福を祈っていました。儀式が終われば、男たちは廟に併設された「燕翼堂」という大広間で一緒に食事をしました。昔は男尊女卑の考え方があり、女性はこの部屋に入って食事することはできませんでした。

 この廟には、「燕翼堂」のように多くの部屋が併設されています。それぞれいろいろな謂れがありますが、中でも一番面白いのは、最も南側に位置する部屋です。この部屋は2階建てなのに階段がありません。実は、「馬氏庄園」の廟には、学校としての機能がありました。まず、東側の部屋では、一族の4歳から13歳までの男子が勉強していました。西側の部屋では、女子たちが刺繍などの手工芸を習っていました。また、男子は13歳になると、科挙試験(役人になるための試験)に向けて準備を始めなければなりません。彼らが科挙試験の勉強をしていたのが、まさにその南側の部屋でした。彼らが2階にのぼるときは梯子を使います。勉強中は梯子が外されて、よほどのことがない限り外へ出られない状態になります。子供たちに勉強に専念させるため、わざと階段を作らなかったというわけです。

 そのほかにも「馬氏庄園」の建物にはさまざまな特徴が見られます。中央エリアには3棟の邸宅があるのですが、ちょうど北京の四合院みたいに、中庭を4つの長屋が取り囲むように建てられた面白いものです。また、邸宅の周辺には南北を貫く中軸線があって、その線上に9つの門が配置されています。この9つの門は「九門相照」、つまり「9つの門が互いに照らし合っている」とたとえられるほど美しいものです。手前の門は低く小さめですが、奥の方に行けば行くほど、大きくなっています。手前が小さく奥に向かうにしたがって大きくなるというところに、「とんとん拍子に出世するように」「どんどんお金を稼ぐように」という意味が込められています。また、「9」は中国で非常に縁起のいい数字です。

 また、「馬氏庄園」にはいろいろと見どころがあります。たとえば南側のエリアには三男の馬吉梅の邸宅が残っています。建築様式は中央エリアの邸宅とほぼ同じですが、馬吉梅の邸宅ですばらしいのは、建物にほどこされた彫刻です。邸宅には、石や木、レンガに多くの彫刻が見られます。この邸宅は民国時代、つまり1920年代に建てられたものです。この時代、中国はすでに封建社会から脱し、建築物も自由なデザインのものが増えてきます。馬吉梅の邸宅も、北京の四合院風建築をベースに、中国各地の建築様式が取り入れられ、彫刻も多くほどこされました。比較的新しいものですから、柱や屋根にはまだ鮮やかな色彩が残っています。

 「馬氏庄園」には歴史的に貴重なものが多く残されていています。あの西太后が使用したベッドや、樹齢数百年の樹木などもあります。

 馬氏一族には、日本と縁のある人がいます。馬丕瑤の娘、馬青霞です。彼女は慈善事業や教育事業に熱心な女性で、1905年には自費を投じて北京に「豫学堂」という学校を開校しています。1906年には日本に渡り、孫文や魯迅などと友好を深めています。その後は日本時代の友人と共同で『中国新女界月刊』という雑誌を創刊したり、鉄道建設に協力したりするなど活躍しました。孫文は彼女のことを「巾幗英雄(女性の英雄)」と賞賛していました。馬青霞が住んでいた部屋もちゃんと残されていますので、ぜひ見学してください。

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