雲南省北西部にある玉竜雪山の麓に麗江という古い町があり、その形が大きな硯に似ているので、「大研鎮」とも呼ばれています。
昔から人類がここで暮らしてきましたが、紀元1253年にフビライ(後の元の世祖)が南の大理国を征伐したとき、ここに軍隊を駐留しました。それから、清の初期までの500年間、麗江は中央王朝に管轄されたナシ族の木一族の祖先と首領に世襲の形で統治されてきたのです。
山を背後にひかえ、川に臨む大研鎮は、高い城壁はありません。五色の石を敷き詰めた古い道の両側には木や石、泥で造られた住宅は美しく、質素で、実用的なものばかりです。小川が中心部にある四角い街や多くの横町を流れ、川のほとりには木々が生い茂げり、シダレヤナギが水面をそっと払っているようです。住宅は部屋の前に橋を掛けたり、背後に小川をひかえたり、水の流れをそのまま部屋の壁を通り抜けさせたりしています。
古い住宅建築物は漢族、ペー族、チベット族の住宅の伝統的な様式を結び付け、独特な風格を形成しています。正面とわきの家屋、そして目隠しの壁によって囲まれた「三合院」が主な形で、「三坊一照壁」と呼ばれています。戸や窓にはきれいな図案が精緻に彫刻され、庭には木や花があり、人々に快適さを感じさせます。
ナシ族の人々は教育を重んじ、詩・琴・書・画に長じています。ナシ族の古代音楽は歌と踊りを一体化したもので、「生きている音楽の化石」とたたえられています。更に面白いことは、麗江の東巴経文は、今日においても世界で使われている唯一の象形文字として、各国の学者がその研究に力を入れています。
1997年に麗江古城はユネスコの『世界文化遺産リスト』に登録されました。
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