魏公村のその一角は不思議な場所だ。近代化が進むコンクリートジャングルの北京で、そこに身を置くと何故か奇妙な開放感と高揚感を味わうのである。
北京の中心から西側に広がる中関村の一帯には、IT産業や各種研究機関、大学などが集中的に配置、集約され、中国のシリコンバレーと呼ばれている。しかし、ハイテクとはほとんど無縁の生活を続けている我が身にとっては、中関村大街の両側に次々と建設が進むビルディングや看板などから、わずかにそんな場所であることを知るばかりである。
中関村の中の小さな町、魏公村には、間近に農業科学院や国家図書館、気象局、大学病院などがあり、その不思議な場所は北京理工大学、北京外国語大学、中央民族大学の三つの大学に囲まれている。
このように書いてみると、いかにも学究の徒が集まるアカデミックな場所で、さぞ勉学に励むにふさわしい落ち着いた雰囲気と思われそうだが、まるで正反対なのだ。
狭い通りの両側には、食堂、煙草屋、雑貨店、美容院、八百屋、洋装店、酒場、スーパーマーケットなどが連なり、路上にはおでんのような煮物や串焼き、鉄板焼きなどのいろいろな屋台、野菜、雑貨、鉢植え、食器などの物売りがごちゃごちゃと並んでいる。にぎやかな売り声を上げる人たちがいる。地べたに野菜などを並べている人がいる。荷を引いてきた駄馬を休ませながら、荷台の果物を売る人もいる。小さな食堂の前の敷地はビヤガーデンになって、若者がジョッキを傾けている。
買い物をする人、屋台で小腹を満たす人、冷やかしのそぞろ歩きをする人が溢れる中を、強烈な匂いが漂っている。夏場の炎天下に何かの食べ物が腐って臭い立てているような凄い臭いである。鼻が曲がるような思いをしながら匂いの元にたどり着く。自転車にぶら下げた札に「臭豆腐」とある。小さな鍋の中で細かく切られた豆腐状のものが揚げられている。これが話に聞くあれか。たいていのものは食してみる心算だが、あまりの臭いに今のところ手を出す気にはなれない。
放課後の学生や仕事帰りの人々が集まる夕暮れ時、人ごみと臭いの中を歩いていると、夕涼みがてらの人々とともに妖しげなネオンの色彩も加わって、通りはどことなく凄みを帯びてくる。周囲が暗いだけに、この通りだけが浮かび上がっているようだ。どうもこの妖しげな気分は、学生街で若い人が多く自由な雰囲気が感じられるためだけではないようである。
聞く所によれば、この辺りはかつて小さな建物などが密集した、いわゆるスラムのような、なかなか危ない雰囲気の場所だったそうである。そこが、再開発によって8年ぐらい前に取り壊され、ビルなどが建てられたというのだ。なるほど、暗い並木通りの中に、誘いかけるような妖しげなネオンが灯っていたりするのはその名残りだったのか。
日本では、郊外にニュータウンを建設する場合、歓楽的な飲み屋街なども併せて建設することが欠かせないという。都市の中には必ずそのような場所が必要なのだ。
魏公村のこの一角に多くの人が集まるのは、人間の中に確かにある自由で放埓なエネルギーのような何か、闇の部分ともいえる何かを感じさせるからではないのかと思えてくる。中関村というITやハイテク、アカデミズムを売り物にした地域の谷間に、ひそやかにこんな場所があることがうれしい。
(写真、文 満尾巧)
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