北京に滞在して11ヶ月も経ってから、改めて水の美味さということを痛感した。以後、この1ヶ月余り、日々、水の美味さ、有難さを実感しながら冷水を飲んだり、インスタントコーヒーを飲んだり、ご飯や味噌汁の味を喜んだりしている。まさに「目から鱗」の体験であった。
北京の水道水は硬水である。北京の北方にある複数のダムがその水源になっているという。硬水というのは、水の中に重炭酸カルシウムなどが含まれる、文字通り硬く感じる水で、アジア大陸やヨーロッパなどは硬水であり、日本は軟水であるという話は以前から聞いていたが、何故そうなのかは今もって分からない。
北京で生活するようになって驚いたのは、地元の人が生水を口にせず、必ず沸かしたお湯か、お茶を飲むことであり、多くの人が専用の携帯ボトルを持ち歩いて、それを飲んでいることであった。職場には給湯室が設置され、日々の仕事は大きなポットに入れた熱いお湯をオフィスに運ぶことから始まるといっても過言ではないし、ホテル形式の我が老朽化したアパートメントでは、毎朝、服務員が、コルクの栓で蓋をした昔ながらのポットを運んでくれる。
街のあちこちでミネラルウォーターのペットボトルが売られ、それを飲む人たちも多いのだが、生水や冷たい水を飲むのは体に良くないという考えが老若男女を問わず徹底されているように感じられる。あのビールでさえ、常温のものが好まれるほどである。「冷たい(ピンダー)」と言わなければ冷たいビールは運ばれて来ないし、そもそも店に「ピンダー」を置いていない場合だってたびたびあるのだ。
そんな訳で、郷に入りては郷に従えとばかりに、北京滞在の11ヶ月間、努めて沸かした水道水を利用するよう心がけてきた。職場で飲むのは、給湯器を利用したお湯、お茶、インスタントコーヒーだし、住まいで飲むのは、運ばれてくるポットのお湯であり、それがなくなれば水道の水を沸かして利用し、ご飯や味噌汁を作るのもすべて水道の水を利用してきたのである。
しかし、残念ながら、そのように利用してきた水を旨いと感じたことはまずなかったと言ってもいい。まさにお湯が硬いのである。口当たりがハードで、そこはかと渋みのようなものが感じられる。沸かした後のお湯の中には、炭酸カルシウムの結晶だろうか、白い粉のようなものが沈殿し、食器などを洗った後には、表面に白い幕のようなものが残るのである。もちろん、飲用水としてチェック済みの水道水なのだから問題はないのだが、余り気分がいいものではなかった。それでも、これが当たり前なのだと思ってやり過ごしてきたし、慣れてしまっていたともいえる。
そんなある日、水を注文するために、思い切って街の専売店に出かけた。何人かの日本語部スタッフや日本人専門家から、飲料水を購入していると聞いていたからである。早くからその話は聞いていたし、大きな水のボトルをいくつも積んだリヤカーが配達に回っている姿も見かけていたのだが、水道水でも特に違いはなかろうと思い、そのままにしていたのだ。
水の専売店は北京の街角で見かけられるが、大規模なメーカーがチェーン店を組織しているらしい。もらった名刺には「娃哈哈(ワハハ)第八十四加盟店」とあった。扱っている水は、大手コーヒーメーカーのミネラルウォーターから地元の鉱泉水(つまりミネラルウォーター)、純浄水など14種類もあり、価格は18,9リットル入りで10元から16元までの幅があった。純浄水がどんなものかは分からなかったが、1ボトル12元の純浄水を契約した。ボトル使用の預かり金50元を支払うとともに、事前に10枚綴りのチケットを購入し、配達されるたびに1枚ずつ渡すのである。契約するのは簡単だが、相当重そうなボトルの配達は重労働だろうと思われた。
どんな味の水が来るのかと楽しみにしつつ、帰り道に家電店に立ち寄り給水器を購入。給水器の値段は100元台から1000元台までいろいろあったが、安いので良かろうと150元ほどの物を購入した。何故安いのか理由が分かったのは、配達された水をセットしてからだった。何のことはない、熱いお湯は作れても、冷蔵庫で保存したような冷水は作れないのであった。冷水も作れるものは値段が高いということだろう。
さて、部屋に給水器をセットし、水の専売店から若者がリヤカーで運んできた水を飲んでみて驚いた。水が美味いのである。まさに水とはこの味だったと感動したのである。どのようにして、純浄水が作られるのか取材はできなかったが、おそらく、細かなフィルターで濾過するか、蒸留するかのような方法で作られるのだろう。水道水の沸かし湯からは想像できない美味しさなのだ。口当たりはやわらかく、無味無臭、ほのかに甘みが感じられる。このように旨い水を何故、少しでも早く購入しなかったのかと悔やんだだけでなく、日本で当たり前のこととして飲んでいた水道水の貴重さはもとより、大げさに言えば「命の水」ということばさえ浮かんだほどであった。
アフリカの砂漠地帯などには、飲み水を旅人に売ることを生業とする人たちがいる。テレビで見た水売りは、大きな皮袋を担ぎ、胸にたくさんの金属のコップをぶら下げて微笑んでいた。その姿は、カラカラに乾いた砂漠の中で特別に輝きを放っているように見えたものだ。まさに、命にかかわるものを扱うだけに、旅人の渇きを癒すことに自らも誇りを感じていたのだろう。
北京の雑踏の中で水を商い、炎天下にも真冬の寒さにも水を運び続ける人たちの姿がとても好ましいものに思えてくる。熱い水も、冷たい水も、インスタントコーヒーも、飯も、汁も、言うことなしである。1ボトルをほぼ1週間で消費する。北京の水は美味しいのだ。純浄水を利用するようになって1ヶ月余り、それが当たり前のものとなりつつも、気分は少しも変わらずにいる。
(文、写真 満尾巧)
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