今晩は、新疆シリーズの時間です。
「草原情歌」という歌は、日本など世界で広く親しまれている中国の歌です。この歌を作曲したのは王洛賓さんです。王洛賓さんが「草原情歌」のほか、「ダバン城の娘」、「花嫁のベール」など、新疆の民謡を元にして作った曲は、今でもよく歌われています。
今年3月14日は、王洛賓さんが亡くなって11年になる記念日でした。新疆ウイグル自治区のウルムチ市、北京、そしてニューヨークでは、この音楽家をしのんでいろいろな行事が行われました。新疆は王さんの音楽の故里と言えます。というのは、王さんはここで、数多くの民謡を採集し、整理していたからです。
新疆には、もっぱら王洛賓さんの歌を歌い、王さんの資料を集めている歌手がいます。劉書環さんです。
では、クイズです。
劉書環さんが収集、整理を続けてきたのは、誰の音楽でしょうか。
1960年、劉書環さんはまだ小学生でしたが、「草原情歌」や「お月様が上ってきた」など、王洛賓さんが作曲した歌が大好きになりました。やがって仕事するようになってから、縁があって、王さんと一緒に仕事をするようになりました。でも、当時は、これらの美しい歌が王さんの作品だとは知らなかったということです。劉書環さんは、「幼いときに歌った歌の多くが、王洛賓さんの作品でした。たとえば、「草原情歌」とか、「ダバン城の娘」とか、「花嫁のベール」とか、素敵ですね。これらの歌は美しく、神秘的でしたが、自分の隣にいるこの普通のお年寄りが採集し、整理し、アレンジしたとは知りませんでした」と話しています。
劉書環さんは仕事で王洛賓さんとの付き合いが多くなるにつれて、二人の交流もだんだん多くなってきました。劉さんは詞を書くことが好きで、よく王洛賓さんに作曲を依頼しました。これについて、劉さんは、「あの頃、私たちは若かったので、有名な音楽家に作曲を頼むという意識はありませんでした。怖い感じもぜんぜんしませんでした」と振り返っています。
王洛賓さんは劉さんのために一曲作りました。劉さんは、この歌を歌って新疆の歌謡コンクールで優勝しました。以来、二人の友情はだんだん深まり、劉さんは、王洛賓さんをより深く理解するようになりました。
王洛賓さんの人生は平坦ではありませんでしたが、民謡の採集、整理と創作を止めることはありませんでした。劉さんはその歌が歌い継がれていくように、黙々と脇役に甘んじてきました。自分は王さんのように優れた音楽家にはなれないが、彼の歌が500年も歌い継がれていくように努力していきたいと話しています。劉さんはこれまで余暇のすべてを、王洛賓さんの資料の収集と整理に費やしてきました。王さんの没後、劉さんは彼に関する書籍を数万冊集めました。王さんの自筆原稿は重さが数十キロに上り、音楽資料は千種類、遺品は数千件もあります。王さんについて紹介した新聞や雑誌は数え切れないほどです。劉さんは、これまで王さんについての本を10冊編集し、記念葉書などを20種類発行し、記念活動を100回ぐらい行いました。これらにかけた費用はなんと100万元、日本円にしておよそ1500万円に上ります。劉さんは、「王さんが中華民族の20世紀の音楽に果たした貢献を考えれば、王さんについて研究すべきです。彼の遺作や創作意図などについて整理し、発掘しなければなりません。非常に多くの人たちが彼の原稿、写真、録音、活動資料などをコレクションしています。こうしたものを分類し、集めなければなりません。この仕事をやらないと、歴史に対して申し訳ないと思います」と述べています。
どんな精神が劉さんをここまで支えているのでしょうか。それはいわば王洛賓精神といえるものです。王洛賓さんが中国の民謡のために無我夢中で尽くした姿が、劉さんを深く感動させたのです。現在、王洛賓さんを研究する人たちが増え続けています。劉さんは、「王洛賓さんは、個人の損得を省みず、困難を恐れませんでした。この精神はいつも私たちを励ましています。彼の唯一の目標は、民謡を採集し、整理し、アレンジし、伝えることでした」と話しています。
劉さんは、三つの目標を立てています。一つは、王洛賓記念館を建てること、二つ目は、王洛賓研究会を設置すること、三つ目は、基金会を設けることです。この目標実現のため、劉さんは弛まずに努力を続けています。
では、クイズです。
劉書環さんが収集、整理を続けてきたのは、誰の音楽でしょうか。
回答をお待ちしています。
郵便番号は、100040
北京放送・中国国際放送局日本語部「新疆シリーズ」係です。
来週のこの時間は、民族文化の宣伝に力を入れているジャーナリストマティコカーリさんをご紹介します。(翻訳 朱丹陽)
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