紀元500年頃、シルクロードで栄えていた都市楼蘭は、突然消えてしまいました。その消失は神秘的で、今も解けない謎になっています。現在、この古いシルクロードにつながる最も近い道に、「ディカール」という古い村が残されています。楼蘭から移住してきた子孫たちがここで最後のオアシスを作り上げました。
では、クイズです。
ディカール村は、何年の歴史がありますか。
ディカール村は、新疆ウイグル自治区のトルファン地区に所属するゼンゼン県にあります。トルファン盆地に位置し、東南部はロプロール砂漠に面しています。ディカールの人々は自分の故郷のことを、神様が授けてくれたものだと言っています。というのも、毎年春と秋、この地方はよく砂嵐に襲われますが、砂はディカールの村に落ちることはなく、東側と西側にある砂丘に落ちるからです。もう一つの理由は、ディカール村はこの地方でも、特に長寿村として名が知られているからです。500世帯が暮らすこの村では、80歳以上のお年寄りが5%も占めています。村長のイブライムさんは、人々が長寿なのは、村の井戸が温泉でるあることと関係があると思っています。この温泉の温度は、冬も38度を保ち、甘みがある上、ミネラルも豊富に含まれているということです。
ディカール村のことについて、村長のイブライムさんは、「楼蘭古城の人々が家を捨てた原因は、水不足によるものだと言われていますが、ディカールは違いました。そのとき、我々の村には、およそ30個の湖もあったので、楼蘭の住民はここに引っ越してきたわけです。湖の周りには人の背丈くらいの葦が茂り、アカシカ、野うさぎ、オオカミなどが生息していました。後に、人口の増加や農業の灌漑のため、井戸の水が急速に減り、多くの湖もそのうち消えてしまいました。もともと200個あまりあった井戸が、今は一つしか残されていません」と振り返りました。
およそ100年前、スウェーデンの探検家へディングと地元のガイド数人が、ゴビ砂漠で楼蘭の遺跡を発見したのです。そのガイドたちの子孫の中には、今もこのディカールに住んでいる人がいます。80歳のサーイムさんはその一人で、「先祖たちは長い間楼蘭遺跡の近くにあるゼンゼンという町に住んでいました。そして、およそ120年前、住民たちはそこを離れました。そのとき、私の先祖は150キロあまり離れた町に移りましたが、1960年、私の祖父は家族を連れてここに移住してきました」と語りました。
ところで、ディカール村は500年あまりの歴史を持っています。ここは、かつて楼蘭の住民が移動するとき、必ず通過する村であり、楼蘭遺跡に最も近い村でもありました。地元の住民の話によりますと、この村の住民の先祖の多くは、転々と移住を重ねた後、最後はここに定住したということです。ここに住んでいる人たちは楼蘭の人々と血が繋がっていると、ディカール村の老人たちは思っています。
現在、ディカール村は、多くの内外の観光客、考古学者、探検家などを引き付けています。今年、ディカール村で、第一回新疆クムタ砂漠クロスカントリーレースが行われました。楼蘭に入れることから、100人あまりのアウトドア愛好家が参加を申し込みました。今回のレースの事務局の一人、董務江さんは、「ゼンゼン地区は長い歴史を持っています。ディカール村の名前は、人の修業している洞窟が10個あるという意味です。ここは、標高零メートルであることから、零村とも呼ばれています。2000年ぐらい前の漢の時代から、ここはすでに楼蘭への近道で、楼蘭から最も近い村です。この周りには、今も仏教の洞窟群が残され、古城やのろし台などの遺跡があります。そして、いろいろな宗教がそれぞれの時代に与えた大きな影響が今も残っています」と述べました
500年あまりの歴史を持つディカール村は、今も広大なゴビ砂漠の中で、消えた楼蘭遺跡を見守っています。数百年の歳月の中で、この村は、荒涼として重みを帯び、一味違う町になっています。
では、クイズを繰り返します。
ディカール村は、何年の歴史がありますか。
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