去年ドーハで行われたアジア大会で、中国の22歳のウイグル族選手ハニティさんが、ボクシングの69キロ級で銅メダルを獲得しました。ハニティさんは、新疆北部アルタイ地区が管轄するハバ河県に住んでいます。小学生の時から、朝、兄についてトレーニングを続けていました。兄がボクシングの世界に送り込んでくれたと、ハニティさんは言っています。
では、クイズです。ハニティさんはドーハアジア大会で、何の種目に参加したのですか。
ハニティさんは、「幼いとき、兄がボクシングをやっていました。朝トレーニングするとき、いつも私を連れていました。ランニングなど、基本的なトレーニングをさせました。真冬の時は寒くて、ベッドから出たくなかったですが、兄は怠けることなく、私を引っ張り出しました。そのうち、ボクシングが好きになりました」と紹介しました。
後に、お兄さんは、事情があってボクシングを止めざるを得なかったのですが、ハニティさんはその夢を引き継ぎました。
ハニティさんは、11歳のとき、新疆競技スポーツ学校に入り、ボクシングを本格的に始めました。ハニティさんは、年下でしたが、総監督を務めるアブリクムさんの目には、才能に恵まれていると映りました。アブリクムさんは、当時のことを、「この子のトレーニングの様子を見て、協調性に優れている感じがしました。それに、執着心が強いのも印象深かったです。トレーニングの要領を教えると、真剣に覚えようとしていました。ボクシングの時も熱心でした。まもなく、この子には、プロのチームに入って、いい成績を取れと伝えました。彼の目つきと行動から、必ず成功するというシグナルが伝わったのです」と振り返りました。
よい成績を収めるため、トレーニングのとき、ハニティさんは努力を惜しまず、いつも汗でびしょびしょになっていました。小さい時から、ハニティさんと一緒にボクシングをしてきたレヒムさんは、「1996年から一緒にボクシングをしています。学校に入った当初、ハニティさんは、小さくても一番の頑張り屋でした。今でも、彼は最もまじめだと思います。彼は、困難を恐れない精神を持っていて、責任感が強いです」と語りました。
2000年、ハニティさんは、全国青少年ボクシング選手権大会に参加しました。これは、彼にとって初めての大会経験でした。試合の時、一歩一歩着実に進める戦略を取り、優勝しました。これは大きな励みになり、二年後、ドイツに遠征して、招待試合に出場し、経験を広めました。これについて、ハニティさんは、「出場した選手は皆強豪でした。たとえば、ブラジル、ロシアなどの選手たちには、オリンピックやワールドカップのチャンピンもいました。こうした選手の試合が見られたのは、大きな喜びでした。ボクシングを学ぶ絶好のチャンスだと思いました」と述べました。
2004年3月、ハニティさんは、アテネオリンピックのアジア選考試合に出場し、一位になりました。しかし、オリンピックのグループ戦の第二戦で、相手に敗れてしまいました。オリンピック初出場で、このように敗退し、ハニティさんは、眠ることが出来ませんでした。どこが足りなかったのか、何を頑張らなければならないのかと、反省していました。
その後、中国新疆ボクシング国際オープンが開かれ、アジアの十数ヶ国から有名な選手が参加しました。この大会で、ハニティさんは、真剣に続けたトレーニングと強い精神力によって、チャンピオンに輝きました。さらに、この年の11月、全国チャンピオン大会の69キロ級で優勝しました。そして、去年、中国を代表してドーハアジア大会に出場し、69キロ級で銅メダルを獲得したのです。ハニティさんは、世界のトップの選手たちと競い合うことができて、自信が付いたと言っています。いま、ハニティさんは、2008年北京オリンピックに向かって、毎日厳しいトレーニングを続けています。
では、クイズを繰り返します。
ハニティさんはドーハ大会で、何の種目に参加したのですか。
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