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「北京の胡同に入らなくては、北京のことを理解できない」という言い方があります。胡同は十三世紀にフビライが元の都を北京に置いた時に出てきたものです。胡同は当時のモンゴル語でどういう意味なのかよくわからなくて、調べた資料では、「井戸」、「横道」「テントよテントの間の通路」など、いくつかの説明がありますが、「井戸」のほうが一般的です。というのは、北京最初の都市づくりは井戸の位置によって決められたものです。それぞれの胡同には一つ井戸があるように配置されました。
最初の頃は、それぞれの胡同の名前は人々が言い伝えたもので、正式に胡同の両端に名札を貼って、それぞれの四合院の門に番号をつけるようになったのは民国からです。
例えば、地安門の近くに「百花深処」という胡同がありましたが、そもそも、この名前ではなかったんです。引っ越してきたある夫婦が花の栽培をしていて、春になると、色々な花が咲いていました。それで有名になって、夫婦が住んでいた胡同を「百花深処」と呼ばれるようになったのです。ですから、その胡同の名前からそこに住んでいる人々の生活ぶりが見られます。
北京には住宅ビルが建てられるようになったのは、1950年以降でした。それまで、皆四合院に住んでいました。昔、北京の東西に住んでいたのは貴族や官僚で、南北には庶民が住んでいました。東城区と西城区には有名人が多く住んでいました。例えば、日本の方にもおなじみの魯迅、郭沫若、孫文の奥さんの宋慶齢、また、京劇芸術家の梅蘭芳などが住んでいた場所が今文化財となっています。
北京には胡同が最も多かった時期に6000本以上の胡同がありますが、今は毎年600本のスピードで減っています。どんどん増えていく北京の人の居住問題を解決しなければなりません。また、昔ながらの胡同がなくなることも無視できません。そこで、北京市では、色々な対策を考えました。つまり、完全に保護することは無理ですので、一部歴史的意義のある、比較的よく保存された胡同を文化財にして、昔のままの様子を維持することです。そこで、一つの観光コース、「胡同めぐり」が誕生しました。高層ビルや繁華街よりも北京の特色がある胡同のほうが外国人の中で人気があるようです。
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