河坊街は、杭州の歴史上、最も有名な商店街です。現在の面積は13.66ヘクタール、エリアには元の時代の清河坊や鼓楼、呉山のほかに、また胡慶余堂、胡雪岩旧居、南宋御街など名所旧跡があります。杭州の長い歴史の縮図とも言えるところです。
南宋時代が杭州に都を決めた後、現在の呉山南東にある鳳凰山の麓に紫禁城を築きました。そして、紫禁城から市内へ長さ十里(約5キロ)の皇族専用の道、「天街」(現在の中山中路)を開きました。清河坊は前を南宋の紫禁城に、後ろを河坊街に接していました。「前に皇居、後ろに市」、そして、紫禁城の外、「天街」の両側には、皇族や貴族等家臣が相次いで私邸を建てました。
清河坊の名前の由来は、当時の総帥張俊と関係があります。1129年、張俊は明州(現在の寧波)で金の軍隊を撃退し、晩年には清河郡王に封じられ、厚遇されました。彼は今の河坊街太平巷に清河郡王府を建てました。庶民に敬愛された王の名前をとって、この一帯を「清河坊」と呼ばれるようになりました。昔は「前朝後市」と呼ばれており、元、明、清と民国時代を経て新中国成立する前に至るまで、この一帯はずっと杭州の商業繁華街であり、杭州の老舗はほとんどここに集中していました。
特に清河坊は宋と清の時代に繁盛になり、当時、この当たりは店舗が林立して、布の市、米の市、居酒屋、茶屋、劇場がずらりと並び、商売が盛んで、昼も夜も杭州で最も賑やかな商業区でした。
ここには老舗、名店の旗が揺れ動き、老舗漢方薬局の胡慶余堂(こけいよどう)、ハム屋の万隆火腿荘(ばんりゅうかたいそう)、タバコ屋の宓大昌(ヒツオオショウ)煙草店、もその頃のものであり、今もその姿が見られます。
百年前の漢方薬の老舗?「胡慶余堂」は、官僚商人胡雪岩が1874年に創立した薬局です。北京の有名な漢方薬局同仁堂と応じて、「北に同仁堂があれば、南に胡慶余堂があり」という言い方があります。胡慶余堂は豪華な建物で、前が店頭で、奥が作業場という建築様式です。現在は中国漢方薬博物館となっています。
2000年4月頃から杭州市政府は、新景勝区の開発を始めました。「古跡を大事にしよう」という原則の下で、正確に昔の町並みを再現することに努めました。現存の古い建築の大部分は明代末期、清代初期に建てられたもので、いまも鮮やかに姿を残しています。これらの建築を保護すると同時に、河坊古街の開発も始められました。新しく開発されたこの河坊街は特色のある商店街です。宋の時代を疑似体験ができるように作られています。ショップに並ぶ品物も南宋時代風のもので、非常に興味深いストリートです。杭州名産の伝統シルク店や宮廷に愛された小物などを見ながら、のんびり宋の時代の栄華を感じてみるのもいいです。
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