華清池は西安から東に30キロ離れた驪山の麓にあります。驪山は標高1256mの場所にあり、三千年前、西周時代からの温泉の湯元があります。そのため、ここは歴代の帝王が享楽に耽った所だったのです。西周時代末期の周の幽王はここを驪宮として寵愛していた妃、褒似と一緒にここで宴会をしていました。秦の始皇帝もこの温泉に入ったと言う話も広く伝えられています。
唐の玄宗皇帝は747年にこの温泉地で本格的な宮殿式建物「華清宮」の建造を命じたのです。華清宮には玄宗と楊貴妃のために蓮花湯と海棠湯という専用の浴室も造られました。当時の蓮花湯は極めて大きく、大理石で造り、白い玉石で魚、竜、雁、蓮の花などの形を彫刻し、十八の浴室を飾りました。特に白い玉石で彫刻された蓮の花は温泉の湯の中で、まるで芙蓉の花が水面に咲いているようだっとと伝えられています。
飛霜殿は玄宗と楊貴妃が泊まった場所で、また、宴会と歌や踊りに明け暮れていたところでもありました。この殿の南に九竜池があり、昔、温泉の湯が流れ注いでいた池です。飛霜殿の前に立っている玄宗と楊貴妃は池から湯気が立っている風景を観賞しながら、語り合う風景は唐代の風景画にも描かれています。
貴妃池とは楊貴妃の専用の風呂で、蓮の花の形をしています。楊貴妃は入浴してから、飛霞閣に上がって、髪を乾かしてから、すぐに桐蔭軒で踊る光景は、玄宗がその入口で惚れ惚れとして眺めていたと言われています。
唐代の有名な詩人白居易は、玄宗と楊貴妃の華清宮におけるロマンスを素材にして「長恨歌」を書きました。「春寒くして浴を賜う華清宮、温泉の見ず滑らかにして凝脂を洗う」と歌ったのです。
現在の華清宮には温泉の湯元が四ヶ所あり、一時間に125トンが湧き出ます。温泉の水温は43度、その中に石灰、炭酸マンガン、硫酸ナトリウムなど九種類の有機物質が含まれていて、関節炎や皮膚病に効きます。
最近、これまで発見された唐の太宗皇帝の星辰湯、玄宗皇帝の蓮華湯、楊貴妃の海棠湯などの風呂の遺跡の上に古典的な建物が作られました。また、飛霜殿の前に立って眺めれば、風景の美しい庭園に広い池があり、朱塗の亭や楼閣、東屋など唐代の風格を保っている建物が点在して、枝垂れ柳や百日紅の木が茂り、古代のロマンスが偲ばれます。
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