8月15日は、日本人にとっても、中国人にとっても、忘れることのできない日です。
日本が自国やアジアの国々の人々に言葉では表せないほどの悲惨な体験を強いた太平洋戦争。日本人にとっては、その太平洋戦争に敗れ、膨張政策に終止符を打った「終戦の日」として、一方、中国人にとっては、国土と人民を蹂躙した日本軍を長い苦難の末に打ち破った「抗日戦争勝利の日」として、それぞれが8月15日を心に刻み、将来にわたる平和と友好を築いていかなければなりません。
北京の南西郊外に北京八景の一つに数えられる名橋、盧溝橋があります。中国東北部の旧満州に満州帝国という傀儡政権を既に樹立していた日本軍は、1937年(昭和12年)7月7日、盧溝橋で中国軍と交戦し、泥沼の日中戦争に突入していきました。いわゆる盧溝橋事件(中国では七・七事変と呼ばれる)です。
7月終りのある日、盧溝橋とその周辺を歩いてみました。この夏は雨や曇りの日が多くどうも北京らしくないといわれていますが、この日は前日までとは打って変わって、朝から日差しが照りつけていました。
永定河にかかる盧溝橋は、かつて、その外側と北京の市街地を結ぶ交通の要衝でした。遠方から北京を目指して来た人々の目には、橋の向こうにある宛平城の城門が真っ先に飛び込んできたはずです。暑い盛りで人の姿はあまり多くありませんでしたが、夏休みの子供連れはもとより、若いカップルからお年寄りまで、幅広い年齢層の人たちが、欄干に獅子の彫刻が施された橋を渡っては引き返していました。
盧溝橋事件で日本軍が真っ先に占領した宛平城は、縦横5ー600メートル、高さ5ー6メートル程の堅固な城壁に囲まれています。城壁には日本軍が撃ち込んだ砲弾の痕があちこちに残り、その城壁に沿って、黒い大甕を伏せたような夥しい数のモニュメントが並べられていました。モニュメントの一つひとつには、日本軍が中国各地の村や集落で老若男女に加えた残虐な行為の内容と犠牲者の数が克明に刻まれています。その膨大な数のモニュメントを遠くから眺めるだけで、立っているのが辛くなるほど慄然とした思いになってきます。
ここで、車椅子に乗った80歳ぐらいのお年寄りとその家族に出会いました。お年寄りに日中戦争当時の辛い体験があることは紛れもないことです。息子と思われる中年の男性が、呆然としているこちらに向かって「リーベン(日本人)?」と声をかけてきました。こちらも「リーベン」とかろうじて答えただけでしたが、お互いに十分理解し合えたと思います。男性の目は確かに寛容と和解の気持ちを伝えていました。家族は車椅子のお年寄りを気遣いながら車に乗せ、男性は車の中からもう一度こちらに目で挨拶した後、静かに去っていきました。
向かい側には、「抗日戦争記念彫塑園」があり、広々とした敷地の中に配置された大きな彫刻に、日本軍と困難な戦いを続けた中国軍や人民の姿が刻まれています。暑い上、日差しをさえぎる場所も少ないせいか、園内を歩く人影はまばらでした。
宛平城の城門をくぐると、中はそのまま一つの街になっていて、通りの両側には、食堂や小さな売店、胡同(フウトン)と呼ばれる住宅地があり、さらに学校まであります。城内街は文化景観の保存地区に指定され、沿道の建物などは改修や整備が進められているところでした。城内街をぶらぶら歩いていくと、程なく「中国人民抗日戦争記念館」の前に出ます。
記念館には、抗日戦争を勝利に導いた中国軍と中国共産党の業績、日本軍との激しい戦い、中華人民共和国の成立から今日に至るまでの経過などが、パネルやジオラマで展示されています。戦後、日本の首相たちが中国を訪問した時の交流の様子も展示されていました。そんな中、日本軍の南京大虐殺のパネル展示の前では、年配のグループの人たちが何ごとか声高に話し合っていました。ことばは分からないながらも、気持ちは十分伝わってきます。ここを訪れる人も子供からお年寄りまで幅広く、記憶は確実に受け継がれていることを実感しました。
日本では、歴史についてはそれぞれの国にそれぞれの思いがある、こうした展示は反日感情をあおるだけではないかという議論をよく耳にします。しかし、仮に自国の正当性を主張するために歴史を都合よく解釈することがあるとしても、それを日本が中国に主張することは出来ません。なぜなら、日本は中国に対して一方的な加害者であり、中国は一方的な被害者であったからです。心から謝罪し行動で示すこと、そして、将来にわたる平和と友好を誓い実践していくこと、それ以外に国と国との信頼は生まれないと思います。
日本では戦後生まれが6割以上になり、戦争の記憶は年々風化しているといわれます。しかし、再び悲劇を引き起こさないためには、何としても記憶を引き継いでいかなければなりません。それは、単に被害者としての記憶にとどまらず、辛いことではありますが、加害者としての記憶も含む必要があります。平和の尊さを噛み締めるために、北京に滞在する間は、時折、この日中友好の出発点を訪ねようと思っています。(撮影・文:満尾 巧)
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