新疆ウイグル市マイルジャン貿易会社のマイルジャン社長はタジク人です。彼は7カ国の言語ができ、自分の商売を世界約160ケ国と地区に広げ、資産は1億6000万元に達しています。しかし、彼は商売でもうけたお金の大部分を地元の貧困学生や、自分の故郷、災害の被災地区、国境守備部隊に寄付しました。
クイズの問題 マイルジャン氏は中国のどの少数民族の人でしょうか。
今年38歳のマイルジャン氏は背が高くて、話す時にはいつも顔に微笑みをたたえています。
想像できないことですが、十分な資産を持っているマイルジャン氏なのに生活は簡素で、見えを張らない人です。わずか10平方メートルの彼のオフィスには、普通の机があり、じゅうたんやソファも古いものです。
マイルジャン氏は1960年代末に、新疆の最も西部にあるパミール高原のタシュクルガンタジク自治県に生まれました。そこは農牧業を主とする村で、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギスなどと隣接しています。
マイルジャン氏は幼い時、生活がとても貧しかったのです。しかし、生活苦がかえって彼の闘志を燃やし、小学校の時から一生懸命に勉強しました。
生活が貧しかったため、マイルジャン氏は中学校を卒業すると、商売を学び始めました。初めての商売はタシュクルガンから400キロ余りの和田からじゅうたん5枚を買って、タシュクルガンで販売し、1200元をもうけたのです。
その後、マイルジャン氏はパキスタンなど国の商人と商売を始めました。この中で、彼はアラビア語、ウルドゥ語、ペルシャ語、英語、ロシア語、日本語などを勉強しました。外国語を勉強すると商売に非常に有利なものとなり、彼はいつも商品の仕入れから、販売まで自分ひとりでやります。また、パキスタンの国境の交易地でホテルを立ち上げました。
ここ数年、新疆と周辺国家の貿易往来が繁昌するにつれて、マイルジャン氏のビジネスもますます盛んになりましたが、彼はこれまでに、商売でもうけたお金約3000万元を社会に寄付しました。1998年夏と秋に、彼は車やラクダの列を率いて、パミール高原の4000メートル余りの山を8つ越えて故郷の貧困牧畜民に100万元相当の米や小麦粉などを贈りました。その年の冬に、故郷の小学校は石炭がなかったので、マイルジャン氏はただちに1000トンの石炭を贈ったほか、石炭運輸の問題を解決するためこの小学校にトラック一台も寄贈しました。
地元では地震などの自然災害が発生した時、マイルジャン氏はすこしもためらわずに被災地区に米や小麦粉、テント、医療設備などを贈りました。また、多くの貧困学生のために学費を払ってあげたり、新疆大学でマイルジャン奨学金を創設したほか、2000万元を投資して新疆芸術学院で学生の寮と食堂を建設しました。
マイルジャン氏は「私は1860人の貧困大学生を援助した。現在多くの学生はすでに卒業して仕事をしている。我々は困っている人々を援助すべきだ。これは国にもよいことだと思う」と述べました。
マイルジャン氏は多くのお金を社会に寄付しました。しかし、彼自身は質素な生活をしています。彼はタバコは吸わないし、お酒も飲みません。自分で普通の乗用車を運転して運転手も雇いません。自宅の面積もわずか80平方メートルだけで飾りつけも派手ではありません。
マイルジャン氏の行動は妻には理解されず離婚されましたが、母親の支持は得ています。マイルジャン氏の母親は、「私は息子のやり方が正しいと思う。自分がよい生活をすると共に、さらに多くの人々もよい生活をすることができるように助けるべきだ」と述べました。
マイルジャン氏は暇な時にはいつも地元の民謡を歌い、鷹の骨で作られた鷹笛という楽器を吹いたり、タンバリンを敲いたりしてします。我々はマイルジャン氏の今後の楽しい生活をお祈りしましょう。
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