回族の「花児」は中国西北地区で広く伝えられている山歌の形式です。この「花児」の曲調が高くて歌詞が素朴、清新で、鮮明な民族と地方の特色があります。ここ数年、新疆回族の歌手蘇爾東さんは「花児」の内容を通俗の形式と巧みに結合させた多くの歌を創作しました。今日のこの時間は蘇爾東さんの物語をお話しましょう。
今日のクイズのテーマ 中国西北地区で伝えられている回族の山歌の名前はなんですか。
蘇爾東さんは現在、新疆工業経済貿易学校の教師です。彼の趣味は歌を創作し、それを歌うことです。1997年の1回目のアルバムが発行してから今まで5つのアルバム、あわせて120首の歌を発表しました。
新疆の伊犁(イリ)生まれの蘇爾東さんは幼いころから歌を歌うのがすきでした。1990年大学卒業した後、音楽創作を始めました。当初、彼の歌は多くカザフ族、ウイグル族の歌で、1991年ウイグル語のアルバム「遠方からの祝福」を発表しました。しかし、友達の話が彼を強く刺激しました。
「1人の友達は『あなたは、カザフ族とウイグル族の歌を上手に歌ったが、回族の歌をも歌ってください』と言ったところ、もう1人の友達は『回族には歌があるのか』と言ったのだ。私は『我々は花児という歌がある』と反駁したが、友達は『現代的な回族の歌がない。伝統的な花児を楽しむことができない』と言った」と蘇爾東さんは述べました。
このアドバイスを受けて、蘇爾東さんは「回族には自分の流行歌があるべきだ」と思いました。そして、蘇爾東さんは回族の文化と歴史を研究し始め、多くの優れた人物、例えば古代の航海家鄭和、明代の海瑞、作家蒲松齢らがいずれも回族の人だということが分かりました。
これらの有名な人物が回族の人であることを人々に紹介するため、蘇爾東さんは「回族人」という歌を作りました。友達の包玉成さんは「私はこの歌が大好きだ」とほめました。
「蘇爾東さんは回族人民が好きなものや知りたいものを歌で表現した。私は彼のやり方にとても賛成だ。彼の音楽を通じて、回族の歴史と文化が多く分かった」と述べました。
蘇爾東さんは音楽を愛しています。1990年から1997まで7年間かけて初の回族歌のテープを発表しました。初めの頃は、お金がないため、テープの売れ行きがよくありませんでした。それで、蘇爾東さんは自分で宣伝しました。彼の歌は次第に人々に受け入れました。その後、彼は自分で経費を集めて「回族人」、「回族の娘」などのVCDを制作しました。
音楽評論家は、「蘇爾東さんの歌は『花児』の韻律を汲み取ると同時に、その他の民族の音楽要素も吸収した。また現代的なリズムを加えて、生活の雰囲気が濃厚だ」と評しています。今お聞きになっている「回族人」はその中の代表的なものです。
有名になった蘇爾東さんはやはり、人民の間で自分の歌を歌っています。彼はそこが創作の源だと述べており、彼の多くの歌は人民の間での生活体験から来たものです。
数年前、蘇爾東さんは伊犁の霍城県で出演した時、ある80歳余りのおばあさんが「あなたの歌は非常に好きだ。麻薬禁止の歌を作ってください」と言い、また自分のお金18元を蘇爾東さんに渡そうとしました。その後、蘇爾東さんは麻薬取締りを宣伝する歌を創作しました。
蘇爾東さんの出演はほとんど報酬はありません。「私はただ、歌で人々の生活を豊かにし、人々に歌の中で回族及びその文化を分からせたい。現在、私は多くの人に関心を持たれており、非常に幸せだと思う。今後も人民の中に行って、一般の民衆のために歌い、より多くの創作の霊感を汲み取るよう願っている」と述べています。
今日のクイズの問題を繰り返します。中国西北地区で伝えられている回族の山歌の名前はなんですか。
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