|
ウィグル医学はウィグル族を主とする新疆地区にある少数民族医学で、2000以上の歴史があります。ウィグル医学の進展に伴い、多くの優れたウィグルの医者が出てきました。彼たちの努力の下で、ウィグル医学は新疆だけではなく、世界にも知られるようになりました。今日、皆さんにご紹介するのはそんなウィグル医師の一人、マイマイティ・ハスムさんです。
 
マイマイティ・ハスムさんは1951年新疆の于田県にあるウィグル医者名門に生まれ、小さい時から、ウィグル医学に興味があります。
「叔父は地元で有名なウィグル医師で、小学校時代、放課後よく叔父の診療所へ行って、叔父の問診や処方を見たり、薬剤の調合ことを手伝ったりした。その時から、ウィグル医学に初歩的な知識があった。」
高校卒業後、マイマイティ・ハスムさんは地元の医師になりました。昼は、診療所で働き、夜、家で医学資料を読んで勉強する日々を送りました。医学への執着と努力の積み重ねによって、すぐには地元で有名な医師となりました。
1976年、マイマイティ・ハスムは新疆で有名なウィグル病院に務めました。このチャンスを大事にしたマイマイティ・ハスムさんは仕事に全力投球してきました。病院で、二回もウィグル薬剤製造の革新的リーダーとして、現代の製薬技術をウィグルの薬剤の製造に導入し、立ち遅れたウィグル製薬技術を改善しました。
 
ウィグル医学を従事して35年間に、マイマイティ・ハスムさんは臨床研究とウィグル医学の教育にも携わってきました。マイマイティ・ハスムさんは伝統的ウィグル医学と漢方医学、そして西洋医学を結びつけ、多くの難病の治療に成功しました。特に、ウィグル医学の薬剤で高血圧、糖尿病など病気の治療で明らかな成果を収めたのです。その論文は世界的な医学雑誌でも紹介されました。
1991年、カザフスタンのナザルバヤフ大統領が北京での訪問を終えて、ウルムチに着きました。その時、ナザルバヤフ大統領が病気になり、ウィグル医学のことを聞いて、その治療を受けようとしました。そこで、指名されたのはマイマイティ・ハスムさんです。自分の気持ちについて、マイマイティ・ハスムさんは次のように話しています。
「テレビでナサルバヤフ大統領の映像を見たことがありますが、いざ、本人を診療することになると、やはり緊張していた。もちろん、興奮もしました。医者として、特に伝統的なウィグル医学で大統領を治療し、ウィグル医学を紹介する機会は極めて珍しいことだと思う。」
マイマイティ・ハスムさんがナザルバヤフ大統領に治療したことはあっという間に広まり、ますます多くの外国人がウィグル医学に興味を持つようになりました。この機械を逃さずに、マイマイティ・ハスムさんは英語、ウルドゥ語の勉強を励んでいます。
「外国語を習う目的は一つだけ、新疆のウィグル医学をより継承し、発揚させ、現代的な科学手段でウィグル医学をひろめるためだ。」
このように、外国語を習う目的を述べたマイマイティ・ハスムさんはアジア、ヨーロッパ、北米、アフリカなど多くの国へ行き、学術交流を行うと共に、ウィグル医学の診療方法などを紹介することができました。
マイマイティ・ハスムさんは46歳を迎えた年に、ナイジェリアとパキスタンの駐在大使に診療することを依頼されました。そして、大使の母国で病院を設立するよう、勧められましたが、マイマイティ・ハスムさんは断ったのです。その理由について、マイマイティ・ハスムさんは次のように話しています。
「何人かの同僚が海外で待遇のいい仕事をしている。なぜ外国へ行かないのか、と聞かれたことがある。自分の根は新疆のあり、ウィグル医学の根も新疆に下ろされている。新疆に養成された私は新疆でウィグル医学の研究をして、ウィグル医学に自分なりの貢献をする責任と義務があると思うのだ」
現在、ウィグル医学は新疆だけではなく、中国全土、ひいては海外でも名を知られるようになりました。しかし、マイマイティ・ハスムはこれで満足することはなく、相変わらずウィグル医学の研究に励んでいます。
|