国務院台湾事務弁公室の楊毅報道官は23日、北京オリンピックに参加する台湾チームの名称をめぐり発言しました。
楊報道官はその経緯について、「1979年10月、IOC・国際オリンピック委員会が名古屋で理事会を開き、中華人民共和国のオリンピック復帰を認めた決議を採択した。この『名古屋決議』により、台北に本部を置くオリンピック委員会の英文名称は『Chinese Taipei Olympic Committee』に変更され、大陸側は『Chinese Taipei』との英文を『中国台北』に翻訳した。
一方、1981年3月、台湾のオリンピック委員会は『名古屋決議』を受け入れ、『Chinese Taipei』を『中華台北』に翻訳した。」と説明しました。
この名称については、1989年4月、海峡両岸のオリンピック委員会の責任者が香港で協議を行い、大陸での『中華台北』という名称の使用範囲などについて明確に規定しました。
それ以来、大陸側は香港での合意に基づいて、規定範囲内で『中華台北』の名称を使用しており、一方、『中国台北』は規定の範囲外で使用されている。」と説明しました。
台湾世論が大陸メディアでの『中国台北』との名称使用に反発したことについて、楊報道官は「これは1989年香港で合意された事項範囲の内と外を混同したものである」と述べました。(ジョウ)
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