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成龍=ジャッキー・チェン |
李連杰=ジェット・リー |
年齢・出身地・家族 |
1954年4月7日生まれ(54歳)、香港出身。妻は台湾の元女優、リン・フォンチャオ。息子のジェイシー・チャンは同じく俳優や歌手として活動しています。 |
1963年4月26日生まれ(45歳)、中国遼寧省瀋陽市出身。妻は女優のニナ・リー。前妻とのあいだに娘が2人、現妻ニナ・リーとのあいだに娘が2人います。「ドラゴン・キングダム」の北京プレミアには愛娘のジェーンちゃんとレッド・カーペットに登場し、子煩悩ぶりを見せていました。 |
芸能界入りのきっかけ |
7歳からおよそ10年間、中国戯劇学院で京劇を学んだ経歴を持っています。この学院には、サモ・ハン・キンポーやユン・ピョウも在籍していたことで有名。学院を出たあと、映画のエキストラやスタントの仕事を始めました。当時のアクション・スター、ブルース・リーの「ドラゴン怒りの鉄拳」「燃えよドラゴン」にもエキストラ出演していましたが、決して順調なキャリアとは言えませんでした。 |
8歳から北京の体育学校で武術を学び、中国全国武術大会で5回連続総合優勝しました。17歳で武術界を引退しましたが、その実力を高く評価され、1982年に「少林寺」で華々しく映画デビュー。 |
出世作 |
1973年、ブルース・リーが死去。低迷する香港映画界で、ブルース・リーの後継者として期待されるようになりました。徐々にコミカルなキャラクターを前面に押し出し始め、1978年の「スネーキーモンキー(蛇拳)」がヒット。同年の「ドランクモンキー(酔拳)」は、日本で「ジャッキーブーム」を引き起こていました。 |
デビュー作の「少林寺」が事実上の出世作でしたが、その後は5年以上ヒット作に恵まれませんでした。しかし、1991年に、ツイ・ハーク監督作品「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ」が大ヒット。トップスターの座にたどり着きました。
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ハリウッド進出
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ハリウッド進出へのタイミングは意外と早く、1980年「バトルクリーク・ブロー」に出演。しかし、本格進出のきっかけになったのは1995年の香港映画「レッド・ブロンクス」。この作品が、アジア映画としては初の全米興行収入初登場1位を記録。それをはずみにして、1998年「ラッシュアワー」で名実ともにハリウッド・スターの仲間入り。「ラッシュアワー」は3シリーズ目まで製作される大ヒット作となりました。 |
1998年、「リーサル・ウェポン4」に悪役として出演しましたが、この作品でハリウッドデビューを果たし、世界的な俳優になりました。2000年の「ロミオ・マスト・ダイ」でハリウッド初主演。
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アクションの特徴 |
自らこなす命がけのアクションが毎回話題に。自らのアクション・チームも持っており、厚みのあるアクション・シーンを追求しています。 |
少林拳に、太極拳や八卦掌を併用。武術家だった実力は今も衰えません。 |
俳優以外の活動 |
歌手としても活動しており、1992年に陳淑樺(サラ・チェン)とデュエットした「明明白白我的心」は中華圏で大ヒット。日本での「ジャッキーブーム」を受けて、日本語でも数曲歌っている。また、中華料理店「ジャッキーズ・キッチン」を展開するなど、実業家としての顔も持っています。 |
2004年12月に家族たちとモルディブでバカンスを楽しんでいたところ、スマトラ沖地震が発生し被災。幸い軽傷で済んだが、それをきっかけにして2007年4月、「ジェット・リー基金計画」を設立、被災者達への支援を展開しています。今年1月の中国豪雪被害にも日本円で1400万円を寄付したということです。アメリカ・フォーブス誌では「アジアの慈善家48人」に選ばれるなど、その取り組みが高く評価されています。 |